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4月に変わる「高校国語」に学者から怒りの声 「人の気持ちがわからない子が育つ“改悪”」

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>――文学に触れないことで…
「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つに違いありません。

逆になんで文学に触れてたら他者の気持ちがわかるようになるのか「論理的」な説明が全くないんだが…
現文は作者の意図を読む力をつける良い科目だった。将来、子どもができた時に教える抽斗を増やせるし。あと正しい日本語を覚えられた。
日本語を使えない子どもを今以上に増やしてどうするんだよ。まさに愚策だわ。
霞ヶ関文学入れたほうがよっぽどいいと思う。あの文法は実用性あるが、わかりにくいので反面教師になりそう
霞ヶ関構文はあるのかな?
知識は身に付いても、教養が身に付かない。教養のない人は人として魅力がない。
学校の製品工場化がさらに進むねえ。
「契約書や取扱説明書のような文章には、論理性を超える力はありません。実用的文章ばかりを読んでいるだけでは、人間は受け身になって、発想もどんどん小さくなっていくでしょう」
山口先生のおっしゃる通りです。
私を含め、多くの人達が心配しているのはそこです。
私は小中学で教えてもらった作品を起点にして
多くの小説や哲学、随筆、詩、短歌に親しむことができました。
本当に嘆かわしいです。
2015年6月に文部科学省が、国立大学の人文社会系の縮小方針を通知した。この流れに沿ったものだろう。
ゼニになる教育を優先する?
まず、文学で「論理的思考」が育たないという考えが愚か。論理性を欠いた文学の読みは妄想でしかない。
今までだって『〇〇はどう思ったか?』を直前の文脈から拾うテクニックの科目だったわけで、何も変わらんだろう。しかも学者が情緒を語るとは。
え、国語の小説って人の気持ちが分かるようになるためにやってるんか?と突っ込みたくなって、こんなこといってる学者は誰だと思ったら。私はよくわからないのだが、いろいろある人みたい。
ううむ。文学の重要性は重々承知しているのだけど、大学教員としては、入学前に論説文読解の基礎を叩きこんで欲しいのも切実な現実。だってね、論説文読めないって大学の教科書読めないってことですもの(涙)。
>これをやってしまうと、自分で考えることができなくなってしまいます…自分の目で見たものを自分で考えて自分で書いた

先人が悩み抜いて残したものを学べない子供たち
『「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つに違いありません。』
純粋に楽しみとして文学に触れられるともいえる。
「作者の気持ち」などという試験問題もなくなるだろう。
今までの教育制度では全員「人の気持ちがわかる子」しか育たなかったの?違うでしょ?
考えない人間を作ろうとしてるのかな?はじめて「国語」の意義を知りました!確かに国語のテストって暗記ではなくてこんな感じ?って答え書くし。
>アウトプットのためにはたくさんインプットしないと。中身がなければ何もできません。

その通りだよ。ディベートの仕方だけ教えてどうすんだ。
大変に、危惧する話
すでに“短文”化→ 読解力弱体化→ コミュニケーション能力不足の人が増えている
一見些細に見えても重要な問題

こうした の積み重ねで
“いうことを聞く”考えられない国民増やし
戦争準備は進められるもの
権力は教育で民をあやつる
隣国見れば明快
うーん💦
声優になりたい人は、ますます読書を
自分でしないとですねー
「「文学は論理的でなく、実社会に役立たない」という改革の背後にある考え方がまったく理解できません 」→
それじゃ、今は人の気持ちがわかる子が多いかというと、どうなんだろうか?

結局はどれだけ人と絡んだことがあるかの経験値がモノを言う気がする
大人なら「取説」の読める人間たれ、という教育になるらしいです(正月からトホホ)。
国語で人の気持ち…?
どうしてお上は好き好んで国語を貧しくしていくんだろう
文科省の考える「教育」って何なんでしょう?「教養」を積上げるのは必要だと思う。
教育は人作りじゃないの?実務家育成が国家事業としてやる事なのか?
重視・特化させること自体は悪ではないが・・・実社会には意味のない物に選定された文学の方面を軽視する人は必ず出てくるよね。断言出来るよ。
なんなんでしようね
国語やると人の気持ちがわかるみたいなやつ👀❓
確実に日本を滅ぼしにかかってるよなー
人の気持ちがわかる人は中学までにそうなってるよ。国語の教科書だけじゃなく。
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