メディア記事

「やたらと“エビデンス”を求める人」と「陰謀論にハマる人」、その意外な共通点(松村 一志)

バズる指数ピーク 380

 twitterコメント 526件中 501~526件
「現在、日常用語として浸透している「エビデンス」は、いま見てきた「エビデンス・ベースト・メディシン」の考え方とは大きく異なっている。最大の違いは「エビデンスがある/ない」という二択で語られることだ」
①自称専門家(なお具体的名前、内容無)
②詳しそうな人の経験(サンプルサイズほぼ一桁)
③その国、組織に所属している人(所謂状況対人論証、では日本住んでる人は日本のこと何でも詳細に把握できてるのかな?)
の発言とかいうエビデンスを鵜呑みにしてるのは陰謀論者タイプ
よくわからなかった。エビデンスの有無を専門家の評価指標にしてる(人が多い)のではなく、エ〜を「あれば結果が揺らがないもの」と誤解してる(から、逆の結果が出たときに専門家の評価を下げる人が多い)のでは。
これは慧眼

“「エビデンス」という言葉を使うとき、私たちはどこか専門家と肩を並べているように錯覚してしまう。そうした自惚れを生み出すところに、この言葉の魅力がある”
「エビデンス」の流行は、専門家への信頼の表れではなく、専門家不信の表れなのではないかと思われるのだ

わかる。
強いエビデンスが取れなかったときには弱いエビデンスをもとに自分で事例を作ってエビデンスレベルを上げる、ということをやるのが良い
"「エビデンス」という言葉を使うとき、私たちはどこか専門家と肩を並べているように錯覚してしまう。そうした自惚れを生み出すところに、この言葉の魅力がある。"
医学、医療の知識がない一般人の間で語られてしまっているところに問題がある。
エビデンスをゼロ1で考えちゃうという態度は陰謀論と近しい所にある
「浸透している「エビデンス」は、いま見てきた「エビデンス・ベースト・メディシン」の考え方とは大きく異なっている。最大の違いは「エビデンスがある/ない」という二択で語られることだ」
“「エビデンス」の流行は、専門家への信頼の表れではなく、専門家不信の表れなのではないか” →
松村一志「誰かがこう問い詰められているのを見ると、見ているこちら側まで少しドキッとしてしまう。もちろん、何らかのデータを持っていれば良いのだが、24時間365日あらゆる発言をデータに基づいて行うわけではない。だから、隙あらばこのフレーズを使うことができる。」
"「エビデンス」という言葉を使うとき、私たちはどこか専門家と肩を並べているように錯覚してしまう。そうした自惚れを生み出すところに、この言葉の魅力がある"
職業柄根拠資料を求めがちだけど、基本的に直感型人間なので、相手が理論武装しない限り求めない。資料が出てきたら、その妥当性(信じられるデータかどうか)検証しなきゃいけないので手間が増えるだけ
「エビデンス」というカタカナ語の流行について、『現代ビジネス』に寄稿しました。「エビデンス・ベースト・メディシン」(EBM)における元々の用法とのズレに着目し、「エビデンス」を過剰に求める態度が、思いのほか「陰謀論」とも似ていることを指摘しています。
〈「陰謀論」と言うと、「証拠」を無視した誇大妄想だと思われるかもしれないが、実は、それもある種の「証拠」には敏感である。すなわち、陰謀の存在を示す「証言」や「物証」あるいは「データ」は、むしろ積極的に求められる〉
〈このように「エビデンス」を「ある/ない」で語りたくなってしまうのは、私たちが「正解」を求めているからだろう〉
〈「エビデンス」を問うことは、専門家を信頼していないことの裏返し…専門家の発言をそのまま信じるのは不安だが、専門家しか情報源がない。だからこそ、信頼して良いのだ(あるいは疑って良いのだ)と安心するために、代理指標として、「エビデンス」の有無を問いたくなる〉
〈現在、日常用語として浸透している「エビデンス」は、いま見てきた「エビデンス・ベースト・メディシン」の考え方とは大きく異なっている。最大の違いは「エビデンスがある/ない」という二択で語られることだ〉
松村一志さんに書いていただきました。一般化してきた「エビデンス」という考え方ですが、扱い方を間違えると「エビデンス」を重視しているつもりが、陰謀論にハマる人と大差ない思考に陥ってしまう危うさがある…といったことを指摘してくださってます。めちゃ面白いです。
記事面白かった。
昨今の極端なエビデンス主義の風潮は、江草も懸念してます。
紹介されてる本『エビデンスの社会学』も読みたいなあ。
あいつの批判か

ワクチン信者の知人は、今回のワクチンはヤバいですよと教えて上げてるのに、エビデンスは?とうるさかったなぁ
自分の体の事なんだから、自分で調べなさいよ
甘えないように
本来の「エビデンス」はレベルごとに序列化されているので、根拠の強さは程度の問題だ。一方、日常用語として浸透している「エビデンス」は、「エビデンスがある/ない」という二択で語られる。
そうねえ、エビデンスの強弱の話はあんまり語られてないのも確か。「専門家の意見」はエビデンスレベル6か。まあこのレベルだとガチ専門家がTwitter上で対立してたりとかするのでそりゃ信じろと言われてもな……
「陰謀論」もまた、「証拠」の有無によって専門家を信じるべきかどうかを決めようとしている。その意味では、「エビデンス」の有無を重視する態度とも実はあまり違いがない。どちらも専門家が信頼できない可能性を前提しているのである。
モノは言い方よね。
タイトルとURLをコピーしました