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「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】

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テレビを見ていたか私ですらいたたまれなくなり

テレビから席を外した

相当な負担が続いていると思います
読めて良かった記事。本当に大事なことは言語化できないな。
10年前、戦慄し息を吞んだTV画面。当時それを撮影していた人の気持ちまでは考えが及ばなかったが。
学生バイトで高校野球のカメアシしたときに一度お会いしたかた
田んぼしかない中を後ろから津波に追われながら走る白い軽トラ
飲み込まれる瞬間カメラが切り替わった
心やられるんじゃないかと心配になった、あれを撮ってた人か
安全なところにいた。
その言葉は、あの時、自分も帰宅困難で友人宅であの映像を見ていた時に感じた。
いま、この記事に出会えたことに感謝
備忘も兼ねて
自分も同じ立場ならそう思う。でも、後世に伝えるとても大切な映像ですから自分を責めないでください。
03/10 09:30 🚨YahooNews 24位にランクイン!


配信元 日本版 [03/10 06:07]
10年前俺は失業中だったので家に居た。テレビで中継される津波の悲惨な光景に圧倒され呆然としていた。無意識のうちに「早く逃げろ」と呟いていた。
選ばれた人なのかも…
あの映像を撮る事もアーティストとして生きていくのも宿命。人のチカラではどうにもならない事の方が多いんだな🤔
津波の映像はほとんど観ていない。当時すでに「TV離れ」していたせいだと思うが、リアルタイムの報道以外ではあまり流されなかったこともあるか。
「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】
まだ自分も整理できない10年。このところ日々出る記事の中で最も胸を掴まれた。
仕事を全うしたって思えないんかね。
それ以上な事が出来たって思ってんのかなっ?
ムリだと思うけど、
あれを撮ったのは新入社員だったのか!
すごい運命だなぁ。
とても考えさせられる記事。
NHKの津波の空撮。入社1年目の方が撮影されてたんですね。。。
十年は一昔。自分はNHKから流れてくる、あの映像を食い入るように見ていた。九州にも到達するのではと怖れたのを思い出す。
これがカメラマンが背負う十字架、駅で人身事故が起きると囲いのシートの中までスマホを入れ撮影したがるバカがいるが
あの映像はかなり衝撃的だったが、この記事を読むと撮影することが使命だったんだなぁと思う。
心安やかに生きて下さい、撮影したのも運命です。
良記事。
10年。キリのいい数字なだけで毎日の積み重ね、全ての人にとってとても大きな事で、全ての人の人生を変えた日。私も変わりました。
それが報道カメラマンとしか言う事は出来ないんだけどね。
色々言われる仕事だけど、そこの部分は分からない話じゃない。
出来る事をするしかないからね。
【“正しさ”を押し付けるよりも、考えるきっかけを投げかけ続けること】
興味深い視点
U・ω・U
おそらく多くの人が何度も見た、津波が街を飲み込んでいくNHKの映像。

撮影していた記者の話です。取材して伝えるという作業と、一人の人間の葛藤。ぜひお読みください。
HUFFPOST Japan
当時某制作会社で編集していた。
大阪でも強く揺れてみんなでテレビを見たらこの中継だった。
びっくりして見入ったが、すぐに思った。
これ、放送して大丈夫か?
案の定、その日以来この映像は放送されていない。
葛藤を抱え二年後にテレビを離れた元カメラマンの10年。。→
10年なんてただの数字だ。節目でも何でもない。想像もできない形で今も葛藤し、苦しみながら日々を重ねる人もいる現実
読んでるだけで、息ができなくなる…震える

それぞれの場所での、それぞれの想い…
10年の月日で解決されるわけではない。
ただ、あの日に日本中の人がどんな思いで過ごしたのかを忘れないようにしたい。
あの日見ていた映像で、車列に波が迫る瞬間、カメラが空を向いたのを覚えている。

報道カメラマンはファインダーを通すと大抵のものは撮れる。どんな凄惨な絵でも。でも彼は撮れなかった。そこにホッとしたこともすごく覚えている。

そうか、1年目だったのか…
中継映像を東京のオフィスで見ていたことを思い出す。中高生の頃に何度も行ったあたりがあんなことになるなんて、茫然とするしかなかった。。。
フン綺麗事言ってる、いつも仕事だ使命だと言って人の不幸に土足で踏み込むのに何が葛藤だか、助けられたかもしれない人を何人も見殺しにして、自分の身内が死ぬ姿でも最高のアングル求めるんでしょカメラマンなら
「どうしても『10年』という時間軸に注目が集まるが、ただの通過点。10年という時間が、心の中の何かを消化してくれたことはない」
"大切な人を失くした人、命をかけて救助に向かう人、そして生き延びた自分。

「たくさんの人が亡くなっている中で、自分は、一番安全な場所にいて、撮影をしただけだ」

映像が数々の賞を受賞するたび、葛藤は大きくなっていった "
後世に伝える事が重要
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