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慶応と沖縄戦 激戦地への命令は1500km離れた豪華なキャンパスから…なぜ?

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沖縄で見た、地下水が常時染み出してくる漆黒の闇の中の壕と比べて、何なのだこの快適な司令部は‥言葉にならん。
日吉キャンパスの下に巨大な地下壕があるのは知ってたけど、写真は初めて見た。学生生活のすぐそばにある戦争。
:意見→当時の悲惨さに比べたら規模は違うけど、被害や多くの人が亡くなっていくのは今のオリンピックに突き進む日本みたいな光景だね。歴史は繰り返されるって事か!!!
変わってねえ…

“沖縄の地上では、砲弾だけでなく、飢え、マラリア、集団自決(強制集団死)、日本軍からのスパイ視による虐殺など、さまざまな理由で住民の命も消えていった。
(略)司令部は最新の蛍光灯、床暖房もある寄宿舎で、やめることができない戦争を指揮していた。”
私の住んでた大学寮、実は連合艦隊司令部に使われてました。
今でも防空壕が真下にあるので、ゴジラが攻めて来ても安全です。
塾長👨‍🎓と歩く🚶‍♀️「慶應🎓日吉キャンパス👟ツアー🗻」って、今はやってないのかな…⁉️😷
こういった記事を、多くの方に読んでいただきたいです…
沖縄への通達‥。絶句‥。
「努めて多くの敵兵力を牽制抑留するとともに、出血を強要し、もって国軍全般作戦に最後の寄与をする」(防衛庁戦史室「沖縄方面陸軍作戦(防衛庁 戦史室)」)
しまった学生の間に地下壕見学するの忘れてた
「ついにわれわれは、沖縄に上陸したのだ。しかも1発の弾丸もくらわず、足を濡らしもしないで」
「それは、まるでピクニックのようなものであった」
たった76年前の話
動画無し
”1944年9月29日、連合艦隊司令部は日吉の寄宿舎に入り、キャンパスの多くの施設も海軍に接収された。”
ようは司令部も危険な場所に置かないと前線で戦う兵士がかわいそうってこと?
連合艦隊司令部が陸に上がった時点で終わっている。
全員切腹しろとは言わないが,命を懸けて終戦に持っていくべきだったな。豊田副武以下。
もしそうしていたら帝国海軍軍人の矜持は示せただろうが。
昔、社会科教員の巡検研修でこの地下壕に潜り、目が退化して白い不思議な生き物と大日本帝国の穴に潜りながらの戦争遂行にびっくり。二度と起きないことを祈る。合掌。
ローマ風呂の跡は見たことがない。面子にこだわる偉い(大本営の)方々が立て篭って出来もしないことを民に無理強いする構図は昔も今も変わらん、と読みながら思った。
6月23日慰霊の日に全国一斉行動の一環としてスタンディングを下記の通り行います。お時間がある方はぜひご参加ください。

場所:JR線小田急線 登戸駅
時間:19時から
慶応日吉。資格試験の会場だったから行ったことがあるけど、こんな悲しい歴史の場所だったとは絶句。
「1944年9月29日、連合艦隊司令部は日吉の寄宿舎に入り、キャンパスの多くの施設も海軍に接収された」
へえ、そうなのか。

なるほど ね。この文章は自らの先達をも侮辱しているのに気付かないかね。
「1944年9月29日、連合艦隊司令部は日吉の寄宿舎に入り、キャンパスの多くの施設も海軍に接収された」
現代にも通じますね。
「慶応大学の「日吉学」という授業で、10代、20代の学生たち、そして先生たちとともに日吉キャンパスに残る戦争遺跡を通して戦争のことを学ばせてもらっている。」
今日、沖縄は 。
なかなか知られていない と の関係について記事を書きました。激戦地への命令は1500km離れた豪華なキャンパスから…なぜ?
航空特攻ははじめはそこそこの効果があったが、すぐに米軍がマジックヒューズを開発したので空母に近づくことすらできなくなったと聞いている。後半に至っては特攻で死ぬことが目的となっていた
大和特攻も。勿論小説映画にもなってますけど。では、米側からの視点の作品は。ほぼ皆無。人命兵器コスト考えてもその差は。日本海海戦とは比較にすらならない。のですけどね。
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