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フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造(江原 由美子)

バズる指数ピーク 408

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フェミニズムに対する「からかい」は本当に不誠実な態度で最も批判されるべきだと思う。

テレビで、ずっとその図式を見せられていて、ずっと不快だった。
『からかわれた者が怒ることは、「遊びのルール」違反として制裁されるのだ。』
Twitterで1日500回くらい見る案件。
全員読んでほしい記事です。
フェミニストが弱者男性をさんざん「からかって」きたことを棚に上げて何を言ってるんだか→

有名無名のフェミニストらの悲惨な言動を徹底的にガン無視し、「私たちは無謬」を前提に被害者ポーズ。

自省努力のまったく見られないこうした態度は、まさにカルトめいている。
からかわれてるのではなく、言っていることがまったくもって論理的ではなく感情的で、その事実を指摘されているだけだ……
6ページまではチンタラ「からかい」の話でフェミニストに限らない話で辟易していたが、
6ページからは目を見張った。

どういう意図かわからないけど、
お題を終盤にもってくるのはやめてほしい。
全面的に賛同はしないけど、先の話のテレビの中はこの共犯者の縮図よな。
「からかい」という行為のズルい構造。
面白いからネタにされている事もあるだろうけど皮肉られているという認識でなくからかわれている・馬鹿にされていると感じるのはもう・・・ね。
所謂保守系の女性等は、こういった加害側の男性経由でしかフェミニストを見ていない、ということだろうか。
それは単なる不見識なのか、強固な保身、更には抜け出し難い程の共犯なのか。
江原先生だ。
フェミは「男をつるし上げるバカみたいな女たち」ではないが、「男をつるし上げるバカみたいな女たち」は自己正当化のためにフェミを自称してる印象
〜高校まで自分が感じてた憤り、言語化体系化できる感情だったんだな……
馬鹿だからに決まってるじゃんwww
社会学Bの先生お久しぶりです。
単位くれてありがとうございました。
自らの旧著に囚われた的外れな論考。40年前とは違って、いまからかわれてるのは、フェミニストではなく、「おかしなことしかいわない無敵の人」。寄せるなら反ワクチンとかいわゆる「放射脳」と一緒に論じたほうが適切では。
分かりやすく言葉にして下さった。これは必読!
こういう冷静な記事にも馬鹿にするリプライがつくの、マジで自分の姿が見えてないんだなって思う。
自称フェミニストという名の差別主義者が多いからでは?
面白い記事だった。いろいろ思い当たることある。:
からかわれてる?
そうかなぁ。
まあツイフェミさんたちは少なくともダブスタ止めれば、かなり浸透すると思うんですよね。
憎しみや怒りからくる運動は、敵も多く作ります。

フェミニストはなぜ「からかわれる」のか?
"今日では、「からかう」のはネットユーザーであり、「からかわれる」のはフェミニスト個人である。過去よりも現在のほうが、メディア規制はずっと弱く、個人攻撃の色彩がずっと強まっている"

フェミニストはなぜ「からかわれる」のか?
> 「からかい」の言葉も同様に、「遊び」の文脈に置かれている。「遊び」なので、「からかい」の言葉は、発話者の本当の評価や意図、行為等を示してはいないと解釈される
押しつけているのは「ジェンダー・ギャップ指数世界120位の日本」という価値観。欧米に合わせる個性のない国ランキングだと思う。(女性に押し付けられた性役割等からの解放を求める運動)
「からかい」の行為が、他者の人格を否定し侮辱する行為にもなる。人を孤立に追い込み絶望させる「いじめ」にもなる。

母は常に私をからかって笑ってて、
「冗談で泣くなんて変な子」扱いだった
「性的対象としてしか女性を見ていなければ、「性的関係」を最初から拒否している女性は、「どう扱ってよいかわからない怖い女」としてしか見れなくなる。」
「女性の権利の主張は、男性と「性的関係」を持つことの拒否と読み替えられ「男嫌い」とされる。性差別問題に対する怒りは男性に対する感情的怒りと読み替えられ「ヒステリック」と解釈される。」
アンフェミが社会学を敵視しするのって、こうやって見抜かれるのが怖いからよね。
でも2ch時代から培われた「からかいの手法」しか知らないから、脱却も出来ない。
「主張する女性」にネットで行われるいじめの多くが、この「からかって遊ぶ」ものですね。いじめの殆どがそういうものか。周囲を観客化する等の指摘もあります。
江原由美子「1970年代当時の週刊誌等メディアの多くは、リブ運動や運動に参加している女性たちを、「揶揄」し、「からかい」、「笑いもの」にした。」なぜ「フェミニスト」は「からかわれる」のか?
性的消費
嫌がるのが快感な
ショボい人

最近は
無視だけじゃなく
晒す
通報も大事だと
考えています
"「からかう」者は、発話の責任を問われないようにするために、自分の言葉を「誰もが知っていること」「みんなそう思っていること」であるかのように、脱個人化・匿名化・普遍化したり (中略) 積極的に第三者を観客として「共犯者」に巻き込んだりする"
「からかい」というイジメ(犯罪)、差別。
遊びに持って行き第三者を味方につけ人を貶める汚いやり方。
森氏が女性を揶揄した時に周りでおこった冷笑こそそれである
江原由美子さんが「からかいの政治学」でも書いていたことを再度、現在進行形のこととして書いてくれている。
テーマは少し違うけれど、

「遊び」の文脈では言葉の責任が問われ難い一方、「遊び」ととらえず怒るものは制裁される危険があること。
とりわけ、権威のある男性からの性的なからかいが、いかに有害か知る手がかりになる。
アホだから。
バカなこと言ってる結果バカにされてるだけなのでは。
バカだから。
フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「「からかう」者と「からかわれる」者の関係の親密性を確認・表示する機能を持つ(中略)「からかい」という行為の形式を利用して、非難されることなく他者を侮辱したり、人格的に否定したりすることもできるのだ」
「このように「遊び」の文脈においては、言葉に対する日常生活における責任は問われないものの、他方において「遊び」のルールを破ることに対しては、強い制裁が参加者に課されることになる。」
なんとタイムリーな。
すごくおもしろかった。「からかい」の政治的な機能と、それがなぜフェミニストに向けられるのかについての分析
〈周囲の観客も、「からかわれる」者が「うろたえる」のを「楽し」むことが明らかであれば、「からかわれる」者が怒れば怒るほど、「からかう」者の「からかい」が功を奏したことになる〉→
江原由美子さんに書いていただきました。フェミニストは「男嫌い」「欲求不満」などと「からかい」を受けることが多い。その「からかい」がいかに巧妙にフェミニストの口を塞ぐ効果を持つのかを精緻に分析してくださってます。ここまで深く考察できるのか…という感動がある。
" というのは であり,からかわれた者が のは だから,からかう人は発言の できる"という説明は分かりやすい

でも実際には,人をどう か,どう かによって,自分が
「からかい」を(自分の都合で)不当だと主張しているように見える。例えば社会風刺も「からかい」の一形態である場合があると思うが、その場合貴方方は今後二度と褒めないで欲しい。
「からかい」は悪口の匿名化で、例えば女性の自立はTENGAに使用拒否されたような感情が沸き立つわけだな。
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