メディア記事

なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのか(小野寺 拓也)

バズる指数ピーク 162

 twitterコメント 140件中 101~140件



正義を満たし、
悪とした相手から富を奪えるから

ふつうの人が
『止めなかった』という話。
「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想です。国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです。」

ナチの「第三帝国」が混乱の元凶か。
小野寺拓也「なぜナチズムは『国家社会主義』ではなく『国民社会主義』と訳すべきなのか」を読んだ。
ナチズムを「国家社会主義」と表記した歴史の教科書にはずっと違和感あったけど、その辺りをスッキリさせてくれた記事。
ただ、ヤフコメについていた「民族社会主義」がより相応しい気もする。「国民」では確かにユダヤ人を含め得るしね。
「民族共同体」によって国民の支持を取り付け、それによって「敵」に対する戦争や暴力を可能にすること。それがヒトラーの目指したものであった。
自分もなんの疑いもなく、ナチスを国家社会主義ドイツ労働者党って覚えていた。学生時代の表記がそうだったからなんだろうが。知識・教養のアップデートは大切なんだけど、なかなかに難しいのもまた現実。
「こうした包摂と排除のダイナミクスこそが、ナチ体制の本質であった」

包摂と排除のダイナミクスってのがなるほどなあと思った
この話、霊視ください
霊聴で
『これを書いて皆の士気を高めようと思います』
『他にもあるけど、お前に聴かせられない事が多いんだろうな』
『霊聴サイトの続きます』
読んで納得。勉強になります。
で「国民社会主義」という訳語であれば、たしかに戦前戦中の日本もナチズムとすんなり合致する。あるいは「国家社会主義」のままにしておきたいのは「日本はナチじゃない」としたい希望のあらわれかもね
こことっても大事:「「政治的、社会的、宗派的な対立のない、議会も政党もない、調和的な国民国家というビジョン」(同書247ページ)こそが「民族共同体」の骨子であった」
そもそもStaat-ではなくNational-であるということに始まる話。納得感ある
>国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです。したがってナチズム、ナチ党の訳語は、国民社会主義、国民社会主義ドイツ労働者党とするのが、原意を正しく表していてよいと思います。
「ユダヤ人が職を失うことでドイツ人が職を得[…]東部へと移送されるユダヤ人の財産がドイツ人によって安く買いたたかれ[…]前線や植民地において、多くのドイツ人が物質的利益を得[…]ていたことを、かなりのドイツ人が “公然たる秘密” として、ある程度知っていた…」 ⇒
「国家社会主義」という訳語によって、人びと=国民のナチ体制への協力を見ないようにしようとしているのではないか」
ふーん。じゃ、「中華人民共和国」はどう訳すべきなの?
ナチス以前の「統一ドイツ」から考えると。
「民族社会主義」を想像できる。
訳は難しい問題、受け取り方が変わる…。

カタカナ語が多い理由がわかった気がした。

なぜこの訳語なのか、読んで納得。
『しかし1990年代以降…
ヒトラーやエリート達だけではなく、「ふつうの人びと」による同意、協力、支持、すくなくとも黙認があったからこそナチ体制は成り立っていたのではないかという「賛同に基づく独裁」論が、学界を席巻するようになったのである。』
なかなか興味深い。
「国家社会主義」では、確かにナチスとソ連型共産主義が被って来る。
ナチは「社会主義」という単語が入っているから共産主義と同じだ!としか教わってこなかったが、本質的に違ったらしい。全体主義と呼ぶのすら語弊がある。
国民ではなく国家社会主義と翻訳することについて>『メディア史研究者の佐藤卓己は、次のように指摘する。「そこには全体主義論でソ連共産主義と一括りにしたいという反共的な思惑とともに、「国家」責任のみ追及して「国民」責任を問おうとしない心性が見えかくれしている」』
へえええ、なるほど…
目下の現状を見る限り、日本でこれをやるには境界意識に無自覚すぎるから、かえって一体感が生まれずに社会が分裂するオチが見える。
「ヒトラーにとってナショナリスト=国民主義者であるということと、社会主義者であるということはほぼ同義...『民族共同体』のために無条件に奉仕すること、そしてあらゆる『ドイツ人の敵』、とくにユダヤ人にたいして狂信的に戦うことが、ドイツ国民には求められた」
やっぱり自民党の目指すものがナチズムと重なる。
「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想です。国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです」
寧ろボトムアップやお互い様って言う方がナチスに近いのか。
小野寺拓也氏。国家本位というよりもドイツ人という民族を中心に団結してそれ以外を「敵」とみなして利用し切り捨てるというのがナチズムの本質であると。
人々は暴力によって強制されたりプロパガンダによって「洗脳」されたりしただけでなく、それぞれが「主体性」と「動機」をもって様々なかたちでナチ体制に協力していったことが、次々と明らかに
“こうした包摂と排除のダイナミクスこそが、ナチ体制の本質であった。”
「国民社会主義」と訳せば、トランプ元大統領による「アメリカ ファースト」とか、維新が煽るタイプの憎悪とナチズムの親和性も見えやすくなってくるのかもね
現代の教科書が国民社会主義の訳を使っているのならば、その教科書世代が主流となる時代には、この訳が定着するでしょう。
『第三帝国』(角川新書)の訳者・小野寺拓也氏による解説。とてもわかりやすい。
>「政治的、社会的、宗派的な対立のない、議会も政党もない、調和的な国民国家というビジョン」 1918年のドイツに必要だったのは王室だったんだな。逃げ出したが
この記事を読んでびっくりしたのは、私がこれまで見聞きしたことのない「国民社会主義」が既に高校の教科書では定着していると書かれていることでした。教科書はどんどん変わっているのですね。
包摂と排除のダイナミクス。
今じゃん。
俺も「国家社会主義」て言いがちだから、注意しないと。
小野寺拓也「
小野寺 拓也
小野寺拓也先生に書いていただきました。ナチズムを「国家社会主義」と訳す例が見られますが、なぜそう訳すのがマズく、本当は「国民社会主義」と訳すべきなのかを、ナチの来歴・思想・政策などから解説してくださってます。ナチズムのポイントが押さえられて超勉強になる。
『現代ビジネス』に、「
タイトルとURLをコピーしました