メディア記事

卒業式の練習は“やりすぎ”だった!? コロナ禍で短縮化されて気づいた「先生たちのホンネ」

バズる指数ピーク 156

 twitterコメント 112件中 101~112件
今頃お気づきになりましたか?
コロナ禍で短縮化されて気づいた「先生たちのホンネ」
小学生の頃いやだったな〜
きっと本番の厳粛な雰囲気だけでじゅうぶんなんだろうね
卒業証書を受け取る手がどちらでも
在校生代表者で5年全員で送辞、楽しかった運動会!とかの卒業生の変なレスポンスとか、何時間も馬鹿みたいに練習して当日迎えても、地元の中学にほぼ全員行くから何の感慨もなかったし、単にしんどい記憶しか残らなかった。運動会楽しくなかったしな。
【気になるニュース】
練習やりすぎないアドリブ力のブラジル見てきて日本もそこまで練習しなくてもできると思ってた。無駄な時間多すぎなのでは?
「〇〇らしさ」という枠組みを”当たり前”だと思っていると見直すことは難しい。コロナ下でできなくなったものの中には”当たり前”を見直すチャンスがあるのかも。子どもたちは権利行使の主体だ。その子どもたちと一緒に考えて「新しい当たり前つくる」そういう意識が必要では。
先生たちにお話を聞かせてもらいました/
コメントで子供たちが初めて体験する厳粛な儀式が大事という意見があった。子供の頃から「厳粛な」ミサに参加することは意味があるのではなかろうか。
来賓挨拶は無くして正解
受け取り方まで揃えなくてもよいし、群読は言わされてる感満載で子供の言葉ではないですから。。
それよりも、お友達と楽しかったことを語り合う時間の方が大切なのでは。。。
【良記事】
1990年代は 3月になると、毎日卒業式の練習をさせられていました。ハッキリ言って…
「合唱の練習なんかしなくてイイじゃん❣」と思っていました。中学時代なんか、音楽の授業でのパート別の練習をされられて最悪でした!!
タイトルとURLをコピーしました