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元東京都知事・石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか? 「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは

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主要紙は揃って「石原節」「慎太郎節」だったんだねえ。このこと自身が一つの(新聞は報じない)ニュースだとおもうが。
石原慎太郎元都知事が死去「石原節」という言葉に感じた“危うさ”:プチ鹿島 「小池都知事は関東大震災の朝鮮人犠牲者らへの追悼式にメッセージを送るのを止めた…「三国人発言」から20年の間…呑気に石原節と報道していてよいのだろうか」…ノ
《たとえば読売新聞の文化面(2月2日)では作家の西村賢太氏が追悼文を書いている。》

これは読み応えありました。
数々の暴言・妄言を吐きまくった「 がくたばったが、奴をひたすらマンセーする には反吐が出る!
「確信的な問題発言も“石原節”としてしまっていいの? そのあと朝日は見出しを“石原節”から“石原慎太郎氏の主な発言”に変更したがとにかく驚いた」
プチ鹿島さんが、各新聞の扱いをまとめてくださっている
"
「石原氏の発言をなんでもかんでも『石原節』と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった。最後まで『言いっ放し』をさせてよいのだろうか。」
〈「三国人発言」は、他者に憎悪を公然と投げつける姿を確信的に見せた。いまの社会の風潮にも影響を与えていないか?(略)のんきに「石原節」と報道していてよいのだろうか。〉
プチ鹿島さんのまっとうな記事。新聞もテレビも、「うっとり」してる場合じゃない。
「あの発言はなぜ検証されなければならないのか。『1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 九月、東京の路上で』(加藤直樹 著、2014年)から引用する」(プチ鹿島)
マスコミって
なんなんでしょうね?
最近特に新聞の劣化が甚だしいのでは?
あの発言はなぜ検証されなければならないのか。『1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 九月、東京の路上で』(加藤直樹 著)から引用する
>2月2日
>『「石原節」物議醸す』(毎日新聞)
>『石原節 波紋』(東京新聞)
>『慎太郎節 時に物議』(読売新聞)
>『石原節、時に物議醸す』(日本経済新聞)
>『国動かした慎太郎節』(産経新聞)

>メディアはきちんと「論評」をしてください
極右権力者とその随伴者に嫌われたくないっていうかマスコミが石原的なものの土壌であり同じ穴のムジナなんやって証明やん。
メディアは石原氏にうっとりしてないでちゃんと検証してください。
プチ鹿島さんの言う通りで故人を偲ぶのも良いけど彼の発言を検証すべきです。
朝日、毎日、東京新聞まで文春に一蹴されてる、情けない。氏の発言は断罪されて然るべきであり、称賛されたり仕方ないで終わらせるべきではない。
>故人をしのび、その功績をたたえるのは自然なことだが、石原氏の発言をなんでもかんでも「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった。最後まで「言いっ放し」をさせてよいのだろうか

石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか?
生前の業績を伝えるTVの特集をいくつか見たけど、すごい持ち上げようだった。尖閣国有化さえ、功績としていた。
「石原氏の発言をなんでもかんでも「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった」
「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさ。東京都知事・石原慎太郎氏が死去、新聞各紙はどう報じたか? 「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは
新聞全紙、タイキック。『朝日以外の5紙もすべて「石原節」という言葉を使っていた』
プチ鹿島「いまこそ政治家・石原慎太郎の「仕事」を丁寧にふりかえるべきタイミングではないだろうか。そして、それは新聞をはじめとするメディアの大切な役割だと思う。」
俺は、「ムカつくじじい」としか思ってねえなあ。石原節とかしらん。
この度は文春のこの記事によく勉強させてもらいました。
株式会社文藝春秋とその出版物も石原慎太郎にかなり好き勝手な「石原節」を言わせた共犯者に属するので、こういう文章はほかの媒体に載せてほしかった。
『メディアはきちんと「論評」をしてください。』byプチ鹿島。
もうどっちが批評する側かわかんねーな。
「〜節」とかメディアがジャーナリズムでもなくもう手グセの様に言葉を使ってしまっているケースは、
読み手がSNSを通じて疑問を発していった方が良いよなぁ。
プチ鹿島氏のコラム🖋️
鹿島さん、新聞各紙の見出しから論評部分のチェックまで。やはり鋭いところをつく。

「これほどまでに石原慎太郎は戦後日本を生きた年代の人たちにとって大きな存在だったのだ。そうだとしても、それはそれ、これはこれである。メディアはきちんと「論評」をしてください。」
〈石原氏の発言をなんでもかんでも「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった。最後まで「言いっ放し」をさせてよいのだろうか〉
じいさんの代から大卒ホワイトカラーという家族がわんさといるんだと気付かされた、上京したての頃を急に思い出した。ちょうど40年前。
はぁ……うー…。凹む。帰ってロバートのコント「節」を見よう(あれは素晴らしいです)/
なんだかんだ言って記者さんたちはこの人のことが好きだったんでしょ、人間的魅力だか何だか知らんけど。多分麻生とか森の時も同じ感じになると思う
木曜だけどプチ鹿島さんの記事だ。
差別主義者
卑怯者
蔑視劣等
親の因果負の継承今も
金目
私の父はNHKの訃報で「生きてる内は言いたい事言ってやる」って発言を聞いてニヤニヤしていた。〇〇節にすっかりうっとりしていた
文春オンライン
こういう新聞各紙の報じ方を横断的に眺めて分析する記事、発見があっていいな
プチ鹿島さん
《故人をしのび、その功績をたたえるのは自然なことだが、石原氏の発言をなんでもかんでも「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった。最後まで「言いっ放し」をさせてよいのだろうか。》
数々の差別発言をも「石原節」と呼ぶ風潮への拒絶をプチ鹿島さんが茶化さずストレートに語るほど、大手メディアの書きぶりは明らかに公平性を欠いていた。/

📍 厳選
ほんまマスコミ無責任やわな。
「〇〇節」なんて書いていいの磯野カツオくんくらいである。
プチ鹿島さんが評するように、新聞コラムもコメントを寄せた人も、どいつもこいつも「うっとりしてる」なんだよな。
"これほどまでに石原慎太郎は戦後日本を生きた年代の人たちにとって大きな存在だったのだ。そうだとしても、それはそれ、これはこれである。メディアはきちんと「論評」をしてください"
ホントだよねえ。石原節でまとめるの、雑すぎる。>
新銀行東京の大失敗。尖閣諸島の購入を企み、これが日中間に軋轢を生じた。死んだらいい人になる訳ではないから、批判が渦巻いても自ら招いたことだ。
プチ鹿島:
プチ鹿島が全国紙と呼ばれる新聞各氏が石原慎太郎の妄言をどう報じたか比較している。驚くべきことに五大紙と東京新聞が「石原節」とか「慎太郎節」という言葉を使っている。「三国人」発言などの問題発言まで「節」でまとめていいのかと疑問を呈する。
国際弁護士湯浅卓が、次の記事にコメントをしました!
いまの日本は、コロナ対策も人物評価も、そこにある事実を直視しようとせず、というか都合の悪いことには目を瞑りたがる。危なっかしく怖い。
死んだくらいで、こいつの差別発言が許されては困る。
"要は石原慎太郎との交流自慢だった" 切れ味にシビれる
元東京都知事石原慎太郎が死去新聞各紙はどう報じたか「石原節」という言葉に感じた危うさとは 雑にまとめる新聞に感じた危うさ
三国人発言も石原節に入れていたのは東京新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞つまり産経以外である(産経はこの件には触れず)
ほんと、「メディアは仕事をしてください」の一言
毀誉褒貶の多かった人なのは間違いないが、評価が定まるのはまだ先で良い。訃報を知るやここぞとばかりに誹謗中傷するのが不快でしかない。
『東京』は言われなくてもこの記事が指摘するような記事を書くだろうと思ったけれどなー。
〈石原氏の発言をなんでもかんでも「石原節」と雑にまとめてしまう新聞の手つきには危うさしか感じなかった。最後まで「言いっ放し」をさせてよいのだろうか〉 プチ鹿島氏の石原慎太郎評、を通した新聞批評。同感。
(2022年2月3日)
元東京都知事・石原慎太郎が死去、新聞各紙はどう報じたか? 「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは

麻生節もメディアの悪質な放置プレイ
「石原節」よりも、「文春砲」という言葉の法に危うさを覚える。
○○節とつくと、いくら核心に触れる発言をしてたとしてもなーんかあれな感じしてしまうなぁ。確かに。

「石原節」という言葉に感じた“危うさ”とは
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