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尼崎の歓楽街「かんなみ新地」70年の歴史に幕 「無法地帯」に何が

バズる指数ピーク 204

 twitterコメント 58件中 1~58件
“かんなみ新地の終わり方は、歴史の流れからどう位置づけられるのか。戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家(やんべ)悠平さんに聞きました。”
小中学校の近隣にないこと
遊郭経営者が、ヤクザじゃなければ
あんな店
こんな店
個人的には、OK
山家悠平さんのインタビューがとても興味深かったのだ。
もし本気で取り締まる気あるなら堺東も同様で、古い「新地」潰すより先に近くにズラッと並ぶ自称ヘルス店舗内で長年行われて来た"ホームラン"サービスの方が問題じゃ?
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遊郭や売春の歴史が語られる時、男性側の郷愁と、廃娼運動や女性史研究側の可哀想という哀史のイメージと、今この二つしかないのが問題です。
山家悠平さんが『遊郭のストライキ』以降に書いた評論、書評、インタビューを集成して一冊の本となってほしい。
心が痛い…不平等と搾取…ヒトは自分の搾取に向き合っていかなければならない…不平等を解消しなければいけない…
びっくり。

かんなみ新地無くなった(?)んや。
歴史的視点で「違法風俗の終わり方」をみる必要があるとおもい、「遊郭のストライキ」の著者・山家悠平さんにインタビューしました。
「犯罪か黙認か」というタームを聞いて、女スペのボーハテー弁護士の論法を思い出した。

>「犯罪か黙認かという関係のあり方は不健全で、周りの不安をあおります。対話もなく黙認し、いきなりやめなさい、というのには気持ち悪さが残ります。」
【朝日新聞 DIGITAL】「
ここが重要なのだ
--歴史的流れを押さえないといけない。遊郭や売春の歴史が語られる時、男性側の郷愁と、廃娼運動や女性史研究側の可哀想という哀史のイメージと、今この二つしかないのが問題です。--
”歴史的流れを押さえないといけない。遊郭や売春の歴史が語られる時、男性側の郷愁と、廃娼運動や女性史研究側の可哀想という哀史のイメージと、今この二つしかないのが問題です”
コメントめっちゃちゃんとしてるな〜と思ったら『遊郭のストライキ』の著者さんか さすがだわ -
戦前、政府公認の管理売春制度である公娼(こうしょう)制度、いわゆる遊郭(ゆうかく)があった。←今考えると、すごい時代やな。
個人的には好感の持てる記事でした。
このままでは、性産業のアングラ化は必ず辿る流れですし、そうなるとソコで働く方々で何か起こってても何も出来ない。

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立ち飲み屋やBARがロードサイドのハイエナの如く入り込んで、

新しく生まれ変わってるよ。
カンナミスタイルw
面白い( ´∀`)
新地の営業がグレーゾーンかはともかく、一番無法地帯の朝日新聞に言われるのはやはり身内に優しい、ダマスゴミ
1枚の警告書から一斉閉店へと動いたことをどう捉えるべきか、歴史の流れから考えました。
偏見や犯罪を行っているという後ろめたさとも戦って、それでもなおこれしかなかった人たちなのかなと思っている。
娘に聞かれて苦笑いするしかないと平然と言えてしまう大人が闇をつくっている

戦時経済では引っ張り出されて働き、戦後は真っ先に首を切られた。疎外された女性たちがたどり着いた「労働」が性産業だったという歴史があります
大阪市の西区にもこういうとこ有るよね。
やっぱり料理組合の名前出してる。
遊郭は文化なんだ‼️
入ったことはないけどアングラにはアングラの良さ風情がある‼️
危険が及ぶのでもう名前は出さないがアソコやアソコは無くさないようにして欲しい。
信頼している中塚さんの記事。風俗・売春産業を労働問題として考えることは大事な視点だと思っている。
閉めたかったのかも。時代は流れた。
画像でみる限り造りは横浜黄金町高架下の「ちょんの間」と同じだな
黄金町は周辺住民の意識の高まりと警察の協力で再生まちづくりできたけど、
中にいたはずの人々はどこかへ流れたのは同じ構図
近頃の朝日新聞には失望ばかりしているが、これは良い記事。しかも無料。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑩

しかし売春防止法で犯罪化し、女性たちの生活保障もしない。その無責任さがずっとあり、今回も歴史を見直すことでとらえ直すことができる
「初めてあった料亭の女将と恋に落ちて性的関係をもつ」という昭和の考えで許されている飛田新地を規制しはったらどないや?
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑨

実際には、公娼制度は登録制で税金をとり、管理売春業者を保護する政策だった。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑧

1872年に「芸娼妓解放令」が出るが、政府は貧困を理由にした売春を「許容」する、という欺瞞的な立場をとった。
まだネタになるんやなw
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑦

そこで働く女性たちをどのようなまなざしで見てきたかという問題が根底にある。
『市と尼崎南署の連名で警告書が出され、直後に店側が一斉に営業を休止』じゃあ、大阪市の市長と警察は「飛田新地」での売春行為を黙認してるのか?という話になるのでは?
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑥

目の前から見えなくなればいいというスタンスで日本の売買春政策が動いてきた。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話⑤

おそらく半数以上の女性が周辺の青線へ流れた。戦前は国策だったのに、犯罪化されて散り散りに。
"目の前から見えなくなればいいというスタンス"
今回のこれも全く同じだよね。そしてどんどん地下化して見えなくなって被害者が増える。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話④

(赤線のセックスワーカーの)多くの女性たちには扶養者がいた。転業支援のための資金を求める活動もしたが、認められなかった。
店を追い込んだところで個人が非合法な見えないところで活動されるだけやろ。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話③

売春防止法の制定をめぐり、赤線のセックスワーカーらは労働組合をつくり、いま犯罪化されると食べていけないと訴えた。
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話②

1956年に売春防止法ができるまで特殊飲食店の許可で売春できたのが赤線、飲食店の届け出で非合法なのが青線。かんなみは青線由来と言える
戦前の遊郭の女性について詳しい女性史研究者の山家悠平さんの話①

黙認から、いきなり排除というスタイルは歴史的に繰り返されてきました。
ますます女性が生きづらくなるね。職業の選択肢が狭まって。
憲法で選択の自由は保障されてるのに。
かんなみのニュースがまたあったけど。。
「歴史的流れを押さえないといけない。遊郭や売春の歴史が語られる時、男性側の郷愁と、廃娼運動や女性史研究側の可哀想という哀史のイメージと、今この二つしかないのが問題です。」
いきなり潰されたという論調に驚く。前段で住民の声と警察による取り締まりの繰り返しの結果なのにいきなりなんて言えるか?
女の行き着く先として仕方ないというトーンにも呆れ。
「かんなみ新地」が無くなったということは「飛田新地」の一人勝ち決定だな
「中で働く人にも扶養家族がいて、生活者であり、実際にストライキや不正への抗議という形で闘っていた。哀愁や偏見ではなく、人間として生きていた女性たちというイメージがある程度共有されていくようになれば、話したり考えたりしていく土台ができるのではないでしょうか」
「セックスワーカーがしっかり発言できる社会は、性暴力の告発もしやすい社会になるのではないかということです。」「中で働く人にも扶養家族がいて、生活者であり、実際にストライキや不正への抗議という形で闘っていた。」
山家(やんべ)さんに話を聴いたのは朝日新聞GJ。
(この辺は歩いた事無かったな。)
わかりやすい記事。
興味深い記事。ただ、この表現は誤解を招く。「特殊飲食店は労働法の対象だったので労働運動が可能でした」。どういう業種でも労働組合の結成は可能なのだから。
ショック…
気になる。>
客引きのババァに
「若くてかわいい子いるよ」
って言われて入ったら
「お待たせしましたー」
って客引きのババァが出てきてボラれたんだ。
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