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享年23歳の京大院生が遺した痛切なる「生きた証」 | ネットで故人の声を聴け

バズる指数ピーク 199

 twitterコメント 140件中 1~100件
枠で言ってたのこれ🗒
画録しながら読むのはやめますw
東洋経済・オンラインで読まれた記事ランキング第2位!
…故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには …
この方の病気と立ち向かって戦った記録…ずっと拝見していたから思うけど
たまたま突然亡くなった高齢者を根拠もなく
政権叩きや陰謀論に利用してる人が浅はかに見えて仕方ない。死を空論のために扱わないでほしい。
僕自身、ブログや映像作品を残す、「クリエーター」としての活動は【子どもたちに親父が生きた証】を見せたい から。だから『人の夢』を応援する動画を作る。
ただの自己満、されど感動あり
【😭😭😭】

結構同じ境遇だから
気持ちがわかる~😭
オレもまたど~なるかわからん
けど、職場復帰できる
以前とほぼ同じ生活ができる
それを幸せに思い
精一杯生きよう😭

誰にでもエンディングは
突然やって来るかもなのだから…
東洋経済・オンラインで読まれた記事ランキング第1位!
心身ともに死に向かっていくのが人生である
Toyokeizaiより
考えさせられたわ
2021年…全てどうなるか予測出来て居た人だ。毎日の様に有名俳優、著者、女優のご高齢の方々が亡くなって居る
余命を意識すると「生きよう」と必死になる。
生きることに必死になれていない人は、死を実感できないからだろう。

最近は「自粛」という形で行動を制限し、貴重な時間を奪っていくコロナが憎い。
常に死を意識することが
命(時間) を大切に出来る秘策なのかもしれない。
愛する人達には
1秒でも長生きをして欲しい。
今日は衝撃s的な活字ばかり読んじゃってるな。
以前、無治療で白血病が治った例をどこかで読んだ。しかし腸管造血が真実だとすると、骨髄移植は意味があるのだろうか?
たとえ今がどんなにつらくても
生きている事に感謝したい

自分だけでは生まれない
自分だけじゃ生きられない

もっともっと生きたくても
生きられなかった想いを胸に
また、明日も生きよう
献血人口は確実に増えたと思う。
それが彼の功績。
私も献血のたびに彼を思い出す。
ページをめくるのがつらかった。今を懸命に生きることの尊さを知れる記事でした➡
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すごい
命が有限である中で、そして残された時間が限られていると知った時に、どんな風に生きていくか、何を為していくか。

最後まで自分の人生を生きていきたいよね。
生まれた以上、いつかは死ぬ。
大事なのはいつまで生きるかじゃなく、生きてる時に何をしたか、だよ。
亡くなったのを別の方のTwitterで知ったときにはほんとにショックだった。
優秀な人が若くして、ましてや20代で亡くなるのを見ると胸がぎゅっとなる。
うちの兄も19歳で病気が分かって、24歳で亡くなったんだよなぁ…
同じ病気と戦った戦友同士、あの世で友達になれているかな。
切なすぎた…
つらみ
入学し間もなくガン告知

相当ショックだったと考えます
人事のように客観的に見るのではなく自分に置き換えて考えた時自分ならば絶望的になり脱力感を感じるように全てに対しやる気を無くすと考えます

ブログが彼の生きた証となり懸命に生きた彼の姿が垣間見えた気がします
健常者である僕は悪戦苦闘しながらも失敗が許される『選択』をしているわけで山口さんが強いられたのはそれが許されない『決断』の日々。正座して拝読すべき事案だ…合掌
発信できる能力と環境に恵まれた方の言葉は、その方だけじゃなく、同じように藻搔く病床の方々の姿に重ねて思いを馳せたい
東洋経済・オンラインで読まれた記事ランキング第2位!
自分自身「このままだったらワンチャン余命数ヶ月ね」て言われたこともあって、この方に共感する事も多々あったなぁ……と。
切ない

献血って大切なんだなぁ
こうしてまとまったのを読むと、凄まじい闘病だったんだなってのが分かる。改めて合掌。
「享年」と入れた場合、「歳」は入らないと思ったのだが、ルールは変わったんか?→
こういうのを見た時の
ファーストインプレッションが
「生きてるのが恥ずかしい」になったのは
いつからだろう?

周囲に健全な方が多いせいか
大抵は同意を得られませン
「もっと生きたいと思いながら死ぬのか
もう死にたい死んでもいいと思いながら死ぬのか
前者は相反する痛みの中にあり
後者は相反しないまた別の痛みの中にある」

できることなら
心が求めるものを追い続けながら
最期まで走り続けたい
なくなる数日前の歩行中の姿はとても辛かった😭。助けてあげたかった。多くの方に見ていただきたい、彼の勇敢な生きた証。
ん〜😔
私は前者でありたいけど、今は後者かもしれない。
僕の人生は、僕の尺度で決める
京大に入った年、一番頑張ろうと思えるであろう年にガンと言われ、2年間?も闘った、その記録をブログに残したのもすごいと思う。
こういう人たちを見ると自分は五体満足なんだからちゃんとまっとうに生きなければならないのかなと思った
こんなにも辛いひとがいるんだから
私、今年から献血を始めたよ。針を刺す時「病で戦う人の力になれ」と祈ってます。
アカハラ自殺かと思って開きました。まさか10代で癌になるとは。
フォローはしてなかったけど、陰ながら応援していました。ご冥福をお祈り申し上げます。
彼のTwitterずっと読んでいた。これからも読む。
うーんまだ死にたくはないなあ (°-°)
でも死ぬならいろいろぜんぶ片付けてから死にたいけどでも再発はしたくないなあ (°-°)
余計なことだけど、享年のあとには普通「歳」はつけないのでは。
つい先日、骨髄バンクのドナー提供依頼が来たが、自分が飲んでいる薬のせいで提供不可だった。健康を大切にしたい。
どう生きるか、時間は有限…本当に…
>目立つ痕跡だけで人物やサイトを断じたり、目立つゆえにあえて目をそらしたりするのは、向き合うのとは真逆の行為となる。手間はかかっても、残された他の「声」に耳を傾けるほうが短絡的にならずに済む。

日常や仕事でも、真意は発言じゃなくその背景の方にあったりする。
献血人口は確実に増えたと思う。
それが彼の功績。
私も献血のたびに彼を思い出す。
東洋経済・オンラインで読まれた記事ランキング第3位!
>どれだけ自分が頑張ろうと、素晴らしい医療体制と医療制度がなければ今頃死んでいた。
今、生きていることに幸せ。

1秒1秒に感謝。

周囲の人に感謝。

心からご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
オレは彼の気持ち理解できる。オレは諦めるけど彼は強いな。
参考になるかどうか分かりませんが。
これも一つの「生き様」であったような気がします。
あー…………つらいな
本当のところは本人以外分からないと思うけど
生きたいという気持ちが切実に現れていて心打たれた
答は簡単後者。しんでもいゝと思ひ乍らしぬとは、いま生きたう思ふ人からみると厭だがしにたうおもふ人にとつては厭ではない、前者はもっと生きたい詰り厭と思ふ故しにたう思ふ人にとればいやだらう。
、、、、

心が苦しくなった
献血 今まで素通りしてたけど
やってみようかな
学生でも出来るのかな
あの献血を呼び掛けるブログの人な、亡くなったのか…合掌。>
長いけど一読してほしい
Twitterで存じていた方
改めて『命』の重さを思う
この世を生ききりたい、強く思う
昔に亡くした人の事を思い出してしまい涙が少し出てしまいました・・。
人間は、最期まで思考することをやめない。
気になるけれど、同じような年で亡くなった友人を重ねてしまってつらくて読めない。23歳、若いよ。若すぎる。
人が何かを遺す それを考える
恥ずかしながらこんな後輩がいたなんて知りませんでした。今を大切に生きよう。
大学1年生で胚細胞腫瘍発症 化学療法後切除
大学3年生で急性リンパ性白血病を発症 3度の再発、3度の移植後 23歳で亡くなる。
若くしてこれだけの病気に悩んでいる人もいるんですよね。
普通の生活、生きる権利があることの有難みを噛みしめて。
>「余命宣告を受けてどんな気持ちですか?」など、心ないリプライやコメントが届くようになった。

マスコミかな?
そりゃあ京大入れるような優秀で価値のある人生なら死にたくないでしょうよ
涙が出た。生きたい人が生きられないなんて。
神はなんで無情なのかと思わずにはいられない。
古田雄介(ライター/ジャーナリスト) 京大に入学した年に希少がんとなり、大学院生のまま亡くなった山口雄也さんの「声」を追いかけました。原稿を書きながら、短い言葉で表すことができない複雑な「声」だと改めて思いました。
この方亡くなってた…のか…
そういえば大学の恩師から
・人は必ず死ぬ
・人生は一度しかない
・自分がいつ死ぬかは分からない
この3つを踏まえ人生を歩めと何度も言われたな。
京大生だからという先入観があるかもしれないけれど、読ませる文章だなと思った。
心に刺さる。
2学期/再出発の日
諦めかけてる受験生に
絶対読んでほしい記事

元世界チャンプ
辰吉丈一郎選手の言葉も合わせて…

"次生まれ変わったらこうしたいとか言う人がおるけど次はないよ"
心よりご冥福をお祈り申し上げます。私はまだ中学生なのですが、この先の人生何があるかわからないし、慎重に悔いのないように生きていきたいと深く感じました。
心に刺さる言葉の数々だった。
何よりもガンジーの言葉を大切にしている部分に共感した。
いい記事。
たとえnoteやTwitterのサービスが終わる日が来ても、人々の心のなかでこの方の問いかけや叫びは生き続けるのだろうか
この方亡くなったんだ。
胸が詰まるという感想が多いけれど、私は「わかるなぁ」という気持ちになった。でも、それは思っちゃダメなんだろうな。だって、私は死ぬとは決められてない立場だから。努力すれば十分に生き延びられる人間が、そんな感傷を持っちゃいけない。
twitterで見ていた山口さんのブログだね。今生きている瞬間がとても大事だとあらためて気が付かされる。
たとえ炎上でも、献血でつながる命を知って欲しい。
境地に在った人間の苦悩と煩悩。

相手が見えぬネットでは、命を燃やした炎上もある。
ご本人とご遺族と記者に感謝だ。
>恒久的に残したいけれど有限であることを承知している。
支えられながらだけど一生懸命前を向いて歩く動画が最後のツイートなんだよね。
山口雄也氏「僕の人生は、僕の尺度が決める」
勢いのある美しい言葉です。
次男と同い年…
ごく最近の話なんだな。困難な中でも生き続けるためにできることをしていて、なかなかできることではないなと思う。
古田 雄介 : フリーランスライター
難しい話はよくわかりませんが、「享年」に”歳”をつけるのは間違いです。
“今を全力で生きようと思ったんです。患者としてではなくて、1人の人間として生きようと思ったんです。”
この歳になると
達観したふりをして
なんとなく時間を無駄使いしてしまうけど
ちゃんと意思を持って選んで生きようと、そう思いました
がんになって良かったって言いたいの人かタイトルだけ見て叩かれたりもしてたよなぁ
も、申し訳ない…
この方のことは私も気になっていた。せめて一度献血に行こう。
フォローすることはできなかったけれど、ツイートを読んで陰ながら奇跡を祈っていました。
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諸行無常
自分の人生は自分の尺度で決める、か(’ ’
絶望的な状況、是非を問いかけるむき出しの思考
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