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沢田研二を輝かせたド派手な美装 「ジュリー」のイメージ作った男

バズる指数ピーク 27

 twitterコメント 62件中 1~62件
ジュリーといえばビジュアルもアーティストでしたね。
今なら全文読めるようですよ〜(o^^o)
裸にサスペンダーって愛の嵐だわってつい映画観ちゃった♪せつない(;_;)
何からインスピレーション貰ってたのか気になる♪
ジュリーの魅力の一つ😆
ビジュアル系の先駆け、流し目に心鷲掴みされてましたよ!
昭和っ子なので幼少期に観てた、派手なお兄さんなんだなと思っててて十年前に全盛期のツベ観たら…とんでもないセクシーな美形でブッ飛んだ
昭和に金カムあったら実写版尾は絶対ジュリーの一択です
アカヒに月額払いたくないけど読みたいw
一本単位で買えたら買ったのに。
このジュリーを見て、某 ”こまわり君” を思い浮かべてしまいました

…一応 謝ったほうがイイ?

そんな事無いよね
あの人のベース大好きなんだから
ジュリーを形容するのに「ド派手」なんて陳腐で泥臭くて
ダサい言葉を持ってくるなんてセンスのかけらも感じない
実はカラオケでジュリーの歌はよく歌っています。

でもルックスが違いすぎますが

衣裳がいつもド派手⋯⋯というより「何じゃこりゃ?」
と、いつも度肝を抜かれていました。
ヴェルディのレクイエム聴いても眠かったのに、ジュリーの写真見たら目が覚めたことをご報告いたします。美しい…
いい写真だわ
ほしい
子供の頃から沢田研二さんに憧れてまして、今でもその気持ちは変わりません。
初恋と言ってもいいでしょう💓
ジュリーは、私の初恋の人さっ(笑)

当時の映像を今観ても、男の色気にドキドキします💓

↓↓↓
写真集欲しい。そっかー、今の記者さんは早川タケジさんを知らないのかぁ。

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当時、ナベプロの入っていた、偕成ビルの
5階の半分は、沢田さんの、戦略・ブッキング部隊
が使ってましたからね。本当にスゴイ方でした

を輝かせたド派手な美装 「 デジタル
昭和の芸能界で沢田研二は本当に別格でカッコよかった、そうかちゃんとアートディレクター付けてチームで仕事してたんだな
橋本治が天才と言っていた人だ。
ジュリーと聞くと「特定世代の特定の方面は『長髪だからとジュリーを出入り禁止にしたNHKをいまでも許さない』らしい」と聞いた話を思い出すの |
うちの母ちゃん…
めっちゃジュリーファンだわ。

確かにジュリーって、
妖艶だったもんなぁ~。(* ˘ ³˘)💓*

=====…
ジュリーィィ〜!!
ジュリーが出てれば、テレビ📺さ、かじりついてみてた子供の頃。
歌は上手いわ、志村けんさんとのコント共演で楽しませてくれるし凄いよね、ド派手な衣装とメイクに毎回驚かされる。

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子供の頃、スゲェな!って見てたジュリー🌟
こんなお話しありました
早川タケジさんが語っておられる。衣装もそうだけどジャケ写のアートワークとか半端ないものね。本当に美しかった。
「キャプテンEO」の8年も前に電飾衣装で一斉を風靡した偉業は歴史に残さなければいけないと思うんです

この時代の彼のパフォーマンスをリアルタイムに観ていて思ったことは、グラムロック時代のデヴィッド・ボウイがいなけりゃ沢田さんのディレクションも無かったというなんだよね。
確かに早川さんはジュリーの新たな魅力を引き出したが、
長年の盟友だった井上堯之さんが
「ついていけない」
とバンドを解散させた原因になったのも事実
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【読まれています】
あでやかなメイク・ド派手な衣装…きらびやかなイメージを作りあげたのが、アートディレクターの早川タケジさん。印象的な装いの数々が生まれたわけ、そしてジュリーのすごさとは。
沢田研二
ジュリー
熊谷朋哉さん超GJですね🥺
子供ながらこのセクシーな耽美美麗なお姿に、はっ!としたことを覚えています
私のある意味歪んだ美意識はジュリ-から始まったのかも
この時代のジュリーが大好きだったが、当時未就学児ながら危険を感じた。
アートディレクターの さん(75)「実は、作詞家や作曲家には申し訳ないけど、僕は歌詞や曲に衣装を『寄せる』ことはほとんどなかったんだよね。だから、曲と衣装がてんでバラバラってことも多かった」
アート・ディレクターの早川タケジさん、お元気そうで!😲
ぜひ展覧会をやってほしいです。
若い人たちにも、 “ありがちなビジュアル系” じゃないゴージャスでジェンダーレスなファッションと、今でも斬新なレコード・ジャケットを見てほしいなー。
紹介されてる写真集欲しいな…でも値段がすごい(同じくらいの古書買ったことあるけどw)
「たとえば、歌番組で『生放送中に雨を降らして』とか『送風機は絶対に3台用意して』などと、無理な注文をいっぱいしました」
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今朝の朝日新聞朝ニュースレターです💕
会員登録なくても途中まで読めます😅
ジュリーはものすごい「作品」やったのね。

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ジュリ〜❣️
ジュ~リィ~!
この記事、興味深い!
自分のステージ衣装好きの原点かもしれないな。
幼少期、テレビで見たピンクレディーと沢田研二さんは本当に衝撃的だった。こういう舞台裏、本当に面白い。
「ジュリーの新曲を出すんだけれど、本人は『空手の道着を着たい』と言ってる。イメージを変えたいんだ」と相談してきたのだという。
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天才。
今年7月、早川さんによる作品をまとめたアートブックが出版されました。
こだわると費用がかさみ、税込み2万7500円になりましたが、
既に約3千部が売れたといいます。

「いつまで経ってもジュリーは永遠です。
他の芸能人と輝きが全然違う。もちろん、今も最高です」
「TOKIO」の衣装では、2つの映画から着想を得たほか
チカチカと点灯する百貨店の装飾が気になったので、服に照明をつけたそうです。

「当時の値段で数百万円かかったこともあったけど、
何よりもとてつもない手間が必要で大変だった」
早川さんは、そう言って笑います。
沢田研二を輝かせた美装
≪「実は、作詞家や作曲家には申し訳ないけど、僕は歌詞や曲に衣装を『寄せる』ことは殆どなかったんだよね。だから、曲と衣装がてんでバラバラってことも多かった」。埼玉県川口市の住宅街にあるアトリエで、早川タケジさん(75)はそう言って笑った≫
沢田さんからの信頼を得た早川タケジさん。
ステージ衣装やビジュアルを次々と担当しました。

手作りのスパンコールや総ビーズの刺繡…
「専門学校時代の同級生たちに手伝ってもらいながら
一点一点丁寧に手作りしました。
今の世の中では、もう作れません」
早川タケジさんが、沢田さんと初めて仕事をしたのは
1973年の「危険なふたり」のビジュアルでした。

「空手の道着を着たい」と言う沢田さんに対し
早川さんが提案したのは正反対の衣装でした。
シースルーの生地に、ビーズの刺繡。
「物思いにふける美青年」の誕生です。
さんといえば、あでやかなメイクにド派手な衣装。そうしたビジュアルを作りあげたのが、アートディレクターの早川タケジさん(75)だ。
「実は、作詞家や作曲家には申し訳ないけど、
僕は歌詞や曲に衣装を『寄せる』ことはほとんどなかったんだよね。
曲と衣装がてんでバラバラってことも多かった」

ジュリーの衣装を手がけた早川タケジさんは、
埼玉県川口市にあるアトリエで、そう言って笑いました。
どんなお手紙だったんだろう…🥰 アートブックのことかな??
「新曲を出すんだけれど、本人は『空手の道着を着たい』と言ってる。イメージを変えたいんだ」
後のインディーズに入ってからの楽曲の趣向に通じる物が見える。ずっと変わらないんだねぇ…
タケジさんのセンスは勿論ですが、相談先に選んだ加瀬さんはやはり名プロデューサー
「 アートディレクターの早川タケジさんへのインタビュー記事です。※有料記事
記事の最初と衣裳の写真は、ご覧になれます。
先ほどは、気軽にタケジさん…と呟いてしまって削除してしまいましたが…やはり、ご本人が着た写真と 衣装とを交互に見てみたいと思いました。ただ飾るより、出来ることなら、血となり肉となり…活きた形で見たかったです。
このアートブック、見てみたい!
オォー、ジュリーの衣装が✨✨✨
タケジさんのアトリエにあるのか。
.
早川タケジ
ある日、一通のお手紙を頂きました。送り主は、アートディレクターの早川タケジさんという方でした。お手紙を拝読した私は、すぐに今回の取材を決めました/
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