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福島第一原発事故の衝撃がデモの文化を定着させた 映画「首相官邸の前で」製作の小熊英二・慶応大教授に聞く

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(記事冒頭にあるが)正確には「復活・定着させた」。戦後ずっと の波はあった。
が、「60年安保闘争以来、52年ぶりの10万を越す国会デモ実現」にも拘わらず、国会記者会館にいるマスコミは「報道せず」を続けた!
歴史断絶を作る日本のマスコミ実態に衝撃を受けた日
反知性主義ってこういう事で合ってますか😎
選挙結果は真逆を指し示している。
今のやり方では絶対に何も変わらない。
独りよがりの批判の為の批判は何も生まない。
誰にも響かない。
「12年6月29日の官邸前には20万人といわれる人が集まった」

←こうやって歴史は捏造される。まさに捏造の現場だ。
デモの文化…。アタマ悪っ。
【東京新聞 TOKYO Web】「
今年も歴史修正。20万人ってなにいってんだか。「動員の革命」は都心の一部地域のブームに過ぎなかった、これが結論。こんなが大学で(略)
原発事故後にこうして台頭した運動が、15年の安保法制反対運動につながった。国会前に集まった約12万人とされる参加者の約7割は12年6月の脱原発官邸前抗議の参加者と重複していたという調査がある。原発事故後に運動に参加し始めた人々が再結集したのが国会前だった。
福島原発事故の衝撃がデモの文化を定着させた
映画「首相官邸の前で」製作の小熊英二・慶応大教授に聞く TOKYO Web
希望を感じる。
私は恐ろしかった
社会って一つの意見に傾いて
違う意見を言えない風潮を作るのかと
原子力ムラの名の下
人々を断罪するのかと

人が怖い
怒声や罵声では
社会は変わらないよ

側から見てる私は
社会の隅に追いやられ
なんか厭世的になって
いつ死んでもいいような気になる
小熊英二さんは、最も注目研究者のひとりです。
うーん
違う。例えば反差別のデモに小熊さんが持てる立場だった故あったズレが埋まった事を言わず、こう言ってしまうのは学者として不誠実。
ヨーロッパでは環境によい産業になったよ、遅れてるね。
「原発事故後にこうして台頭した運動が、15年の安保法制反対運動につながった」
というより、3・11の衝撃を2015年安保法政反対運動に乗せ、60年安保闘争→東京五輪という戦後復興二番煎じに収めたかったのでは。シールズはソフトブント。意識して演出したか。
東京新聞が元旦号にデモに関する記事を2つも載せたのはこの国でもう一度市民運動に活発化してもらいたいと思っているからではないか
日当払ってのでもね
[当時の東京の脱原発デモは、「遠いところで困っている人」のためというよりも、自分自身が事故に強い恐怖と危機を感じて来ている参加者が多かった]

東京五輪反対のデモも同じような理由の人が多かったのではないだろうか。
【決して諦めてはいけない2】原子力ムラは多数の被災者を生んだだけでなく、日本をエネルギー転換から取り残した。小熊英二氏が映画「首相官邸の前で」を製作。社会の底流で働く原発再稼働を止める力が社会を変える。日本経済を転換させる闘いはまだ終わっていない。
これかー。問題発言。2002年から翌年のイラク戦争反対の盛り上がりを無視。「東京圏では1980年代以降、大きなデモが途絶えていた。」
昭和の日本人はもっと怒りを持っていたよ。
メディアはデモの報道で一杯だった
福島第一原発事故の衝撃が
デモの文化を定着させた
映画「首相官邸の前で」製作の
小熊英二・慶応大教授に聞く
「困っている人のため」から
「自分自身が強い恐怖と危機を感じて」
東京新聞 TOKYO Web
国民のマスコミ信頼度(鵜呑み度)と直接抗議の文化(度)が反比例するようなところがあるかも…

“日本は先進諸国では異例なほどに、直接抗議の文化が途絶えていた。原発事故は不幸だったが、政治参加の文化が一定の定着をみたことは、率直に評価されるべきだ。”
映画「首相官邸の前で」また観たくなった
元旦から官邸前で抗議する人がいる
この事実を、日本人は知るべきだと思う夜…
個人的には「あれから」、「それから」何年か経って「その後の流れ」なども含めての一定の総括や反省が必要かな、と。そしてソレらが余りにも為されて無いな、と。「何かある筈でしょう?」、と。そんな風に思っています。
東京圏では1980年代以降、大きなデモが途絶えていた。しかし2011年以降には、それが変化した。
この記事で知って、翌々日に官邸前に行ったんだよね私。当然こんなに人はいなくて。実際にデモに行くようになったのは2015年頃からだった。
おかしいことにはおかしいと声をあげるのが当たり前ですよね😊👍
真っ先に見たい。
東京圏では1980年代以降、大きなデモが途絶えたが、2011年以降には変化。
理由は、東京電力福島第一原発の事故の衝撃だった。東日本の人は11年3月11日に何していたか
【今、デモの文化が”眠っている”】
どうやって、”眠り”からさめ
新たな〈デモの文化〉つくりだすか!
🔸私にできることは🔸
いつも声を上げつづけること
小さな行動をコツコツと積み上げること
私見:今や風前の灯か?NHKなどのメディアの「国内デモは無視」は定着したようだが。
「日本は先進諸国では異例なほどに、直接抗議の文化が途絶えていた。原発事故は不幸だったが、政治参加の文化が一定の定着をみたことは、率直に評価されるべきだ」
2022年を
民衆による
デモンストレーションdemonstration を
ニッポン🇯🇵の伝統にする年にしよう❣️

民衆の意思表示としての直接行動
「困っている人のため」から
「自分自身が強い恐怖と危機を感じて」
「東京圏では1980年代以降、大きなデモが途絶えていた。しかし、2011年以降には、それが変化した」
これは大きな違和感がある。
私も何度かデモに行ったよ、場所をつくってくれたみなさんに感謝してもいる。でも、あのときの声は、どこに反映されたのかなと…
文化っていうより宗教活動とかの類よね、これ。
生活水準の高まりというニュアンスがある文化という言葉に比べて、わざわざ集まって紙を掲げれば何かが起こせるとか、まさに神頼みのような原始回帰を思わせるし。雨乞いか。
まだ事故は終わってねえんだいなあ。汚染水海さ垂れ流しだし。
[2022年1月1日]
全体が見えてないな
2010年代は日本はデモの時代だった。20年代はどうなるんだろうか。おれは選挙になったら支持してる候補の街宣行きたいですけど
原発、特定秘密保護法、安全保障関連法―。この約10年、さまざまな問題に声を上げるデモが官邸前で行われてきました。どんな意義があるのでしょう。映画「首相官邸の前で」製作の小熊英二・慶応大教授に聞きました。 …TOKYO Web
過去日本でもマスコミは隠蔽したが
12万人がデモを起こした。
支配者に少しでも退かせたいならば
金や権利のない人間にはやるしかないだよ。2022年は
👉福島第一原発事故の衝撃がデモの文化を映画「首相官邸の前で」製作の小熊英二・慶応大教授に聞く TOKYO Web
「日本は先進諸国では異例なほどに、直接抗議の文化が途絶えていた」
それでもデモに無反応だった 首相(当時)を思い出します。民主党政権は に始まり、鳩山で終わった/ 事故の衝撃が の文化を定着させた 映画「首相官邸の前で」製作の小熊英二・慶応大教授に聞く
そんな事言うと上の世代が目くじら立てるぞ
新年からコレかよ。さすがクソ新聞。
おぐまりん。
【社会】
デモを扇動することで選挙を超越した影響力を持てる社会?なぜそんな物を正当化してしまうのか。
東京新聞 TOKYO Web

新年連載・声を上げて~デモのあとさき
声をあげ、一人一人が意思表示をすることで、未来はきっと明るくなる。
そのことを励ます連載となることを、東京新聞からの民衆へのエールを期待します。
福島第一原発は、南側のいわき市から北側の南相馬市の中間にあります。荷物の発送などを頼むと業者に断れる場合があります。実は、車両の往来が普通にできる現在でもそうした風評が一部残っています。残念です。

デモ文化もいいけど蝋燭なんてアイテムはいりませんので。
日本は先進諸国では異例なほどに直接抗議の文化が途絶えていた。
そう語る小熊英二さんが見た東京電力福島第一原発事故後のデモの変化とは。
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