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平和訴え続けたイビチャ・オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生
平和訴え続けたイビチャ・オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生
 サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさんが1日、自宅のあるオーストリア・グラーツで死去した。80歳だった。関係者が明らかにした。  機知に富む「オシム語録」は心に響き、皮肉っぽいユーモアには人としての温かみがある。イビチャ・オシムさんは懐の深い人だった。

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どうしてこんなさみしい気持ちになるんだろう。
オシムさん、今のロシアとウクライナを見て、どう思っていたんでしょうね?「トルストイの心境にならなければ」とでも思っていたのか?ご自身も、ユーゴ内戦で、大変な思いをした人です。
ウクライナへのロシア侵攻の映像が流れた瞬間、ユーゴ内戦とオシムさんが脳裏を過った2ヶ月前を思い出す。
ウクライナ進行の最中、オシム氏が亡くなられた事は残念でならない。思う所が山程あったはずだ。
偉大なる人物でした.謹んでご冥福お祈り申し上げます.三鴨克裕
めも。
オシムじいちゃん、ありがとな。
サッカー元日本代表監督イビチャ・オシムさん死去

サッカー日本代表⚽が本当に変わるという夢を見させてくれた唯一の監督!!

オシムさんのご冥福をお祈り致します
スポーツから紛争・分断まで考えさせられる良記事。
平和訴え続けた さん 政治と戦争に翻弄された人生
今のウクライナの戦闘はどう映ったか。
自身を含めて緩い戦争観が多い中で、オシムのウクライナ侵略については聞いてみたかった
《脳梗塞(こうそく)に倒れ、リハビリを続けていたオシムさんを訪ねたのは2度目の東京五輪を前に「スポーツと平和」について聞きたかったからだ。政治と戦争に、
<いま読まれています>オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生


「あの五輪での思い出は今も心の中に大きく残っている」。よどみなく語っていたオシムさんの言葉が止まったのは、故郷サラエボも激戦地となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことを聞いた時だった――。
ロシアのウクライナ侵攻。
真っ先思い浮かんだのがユーゴスラビア紛争を経験したオシムさんのこと。
オシムさんは終わりが見えないロシアの攻撃、ウクライナの惨状を見て何を思ったのだろう?
今の世界に日本にこそ必要な人物だった。本当に急死はビックリで残念。御冥福をお祈りします。政治や経済や宗教を乗り越えたいね人類。
晩年のオシム。我々を魅了した老大家の言葉の数々。木村元彥氏の著作で知ったけど、そのパーソナリティの背景には想像を絶する理不尽な体験があった、と。◆
R.I.P. オシムさん⚽️
自らをコスモポリタン(国際人)と語り、「出身地や出自にこだわり、差別することは理解できない」と多文化共生社会の重要性も説いてくれた。
内容ではほとんど当時の内戦について触れられてないけど、見出しだけ頑張ったでぶね毎日(*-ω-) と、サラエボ紛争について訊こうとした記者氏
、
今の世界についてどう見ているのか聞きたかった。合掌。
御冥福をお祈り申し上げます😢
🟥平和訴え続けたイビチャ・オシムさん

🔴旧ユーゴスラビアからの独立を巡り、血を洗うような内戦に突入。和平合意までの3年半で十数万人が犠牲になった。「毎日のように知人が亡くなり、爆弾が落ちた。家族にもいつ何かあってもおかしくなかった。狂った時代だった」
オシムさん・・
機知に富む「オシム語録」は心に響き、皮肉っぽいユーモアには人としての温かみがある。イビチャ・オシムさんは懐の深い人だった――。
2019年に取材した大島記者の、当時を振り返る記事です。
オシム監督が亡くなったとのこと。哲学も繰り出す言葉も、とても好きな監督でした。"7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家"と称された旧ユーゴスラビアで、どの民族からも尊敬された名将。今ならどんな話をしてくれたかな。
彼の指揮でのワールドカップ見たかった。
👺😍🤩
ご冥福をお祈り致します。
元ユーゴ代表・ジェフ市原・日本代表監督オシム氏逝去 日本サッカーの発展に貢献して頂き誠に有難うございました。対戦相手のサポーターではありましたが、国立競技場での試合思い出しました。心よりご冥福をお祈り致します🕊
平和訴え続けたイビチャ・オシムさん死去。80歳。
政治と戦争に翻弄された人生

ご冥福をお祈りします。
上に立つ者には技術・知識・経験以上に哲学が必要だ。それを体現していたのがイビチャ・オシム氏だった。彼が関わるとチームはとても魅力的に変わった。私も芸能界でそう言う存在でありたいと思う。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

平和訴え続けたイビチャ・オシムさん
イビチャ・オシムさん、いつも貴方の考え方や発言に大変刺激を頂いていました。大好きです。いつか姉崎でサインを頂きありがとうございました。
最後まで代表率いてくれてたら強くなっていたような気がするな。
お疲れ様
サッカー⚽️日本代表🇯🇵に尽力してくれてありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
「よどみなく語っていたオシムさんの言葉が止まったのは、故郷サラエボも激戦地となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことを聞いた時だった。長い沈黙だった。」
こんな歳になってたのね。ご冥福お祈りいたします。
オシム爺逝去か…合掌
衝撃だ。偉大な方が。
今はただ、どうか安らかに。
平和を訴え続けたイビチャ・オシムさんの想い、そしてこの訃報に触れ…😭
うそやん。
平和訴え続けたイビチャ・ 政治と戦争に翻弄された人生
ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りします。
非常に影響されました。関連文書もよく拝読しておりました。
オシム監督。。。→
「出身地や出自にこだわり、差別することは理解できない」
---
えっ、、、ショック、、、、

彼の独特な言い回しとか日本代表監督退任後の日本代表へのコメントとか相変わらず好きだった。
「出身地や出自にこだわり、差別することは理解できない」
オシムさんがいたからおれにはサッカーが特別なスポーツでした。ありがとうございました。
今日は半日だけ仕事する。出勤やめ、在宅に。哀しいから。でも、ありがとうと何度も言いたい。
“機知に富む「オシム語録」は心に響き、皮肉っぽいユーモアには人としての温かみがある。イビチャ・オシムさんは懐の深い人だった”
良記事
も訃報は課金しないようだ。
「病気との闘いは1―1の引き分け。自分が点を取れば、病気も点を取る状態だ」。自身の闘病をサッカーに例えて語っていたオシムさん。試合終了の時が来るまで、懸命に走り続けたのだと思う――。
/
🖍 厳選
ï¼¼
20年以上経ってもサラエボには戦禍が残っているのには驚いた。ウクライナはたとえ今戦火が収まったとしても復興には長い時間がかかるだろう。オシムさんも心を痛めていたに違いない。
亡くなられたのか…
コスモポリタンのオシム監督は、ユーゴ紛争をマスコミが対立を煽ったと仰られた。
民族主義者が台頭し、NATOの支配下に置こうとバイデンやソロス氏が暗躍した構図は、ウクライナ紛争と相似する。
〈スポーツで築いた本当の友情は戦争があってもなくならなかった〉
Numberが掲載したインタビューを3週間ほど前に読んだばかりだったのに。
なでしこジャパンが優勝した時は手放しで称賛して下さったオシムさん、著書の中で「内戦前のユーゴは多民族が共生したコスモポリタン国家だった」といった旨の発言をしておられた記憶があります。サッカー人である前に、人間として尊敬していました。ご冥福をお祈りします。
オシムの言葉に
この先もずっと動かされたかった

日本にとって、世界にとって
サッカーのみならず
争いと分断と、平和とを知る上での
彼の助言を失うのは本当に悲しいことだ
本当に残念。ご冥福をお祈りします…
亡くなられたのか…(/ _ ; )
紛争に巻き込まれていた事を初めて知る…
さよならオシムさん。言葉に力のあるひとでした。
サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさんが死去しました。

1964年の東京五輪で日本に好感を持ち、その後、故郷サラエボが激戦地となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を経験したオシムさん。そのオシムさんに2019年、大島記者が平和への思いを尋ねていました。
日本に新しいサッカー観を教えてくださった偉人。
知性に溢れた語り口、大好きでした。
亡くなるイメージが全くない方の一人なので、信じられない……。

感謝と共に。
R.I.P. Ivica Osim.

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親しい人の訃報のように悲しい。
心よりご冥福をお祈りいたします。
厳しさと優しさを見事な程に
日本のサッカー選手に
与えてくれた‼
毅然とし大らかな人間性でした
安らかな眠りを・
冥福をお祈りいたい‼
晩年はお身体もだいぶ弱ってたそう。でもあの気の利いた言葉の使い方は相変わらず凄い
オシムは言葉がある人でした。ゆえに監督引退後もコメントを求め続けられた
19年に訪ねた大島記者 「で、わざわざ日本から何を聞きに来たんだい?」2019年7月、オシムさんが住むオーストリア・グラーツ。初対面の私に「何の用だ」と言いながら、その目はとても優しかった。
「私が肩を貸して支えながらゆっくりと歩を進めた。それでもやはりオシムさんは、ずしりと重かった」
オシム・サッカー元日本代表監督の死去を惜しむ。
"よどみなく語っていたオシムさんの言葉が止まったのは、故郷サラエボも激戦地となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことを聞いた時だった。長い沈黙だった。「その複雑な気持ちを記述するには、トルストイでなければならない」"
予定稿でしょうか。こういうのが用意されている、あるいはすぐに出力されるというのは本当にすごいことだなぁと。
オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生


「あの五輪での思い出は今も心の中に大きく残っている」。よどみなく語っていたオシムさんの言葉が止まったのは、故郷サラエボも激戦地となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことを聞いた時だった――。
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