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アメリカで「リベラリズム」の立場から「ポストモダニズム批判」が強くなっている理由(ベンジャミン・クリッツァー)

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 twitterコメント 51件中 1~51件
あー、うん、そういう言葉の使い方あるよね…みたいな話。
"応用ポストモダニストたちは「被差別者である自分たちは、差別の経験を通じて、差別の現実に関する特別な知識を得ることができる」と論じる"
うーむ
「文学研究に社会的価値はない」的な価値観が長年主流だったのに、ある時から「批評理論は公正な世を実現するために重要」的な言説が絶対正義として世に君臨し始めたのには違和感あったな
"〜マイノリティが著しい不利益を被っている場合には、その事実をマジョリティに知らせることで、「社会の状況は大幅に変更する必要がある」という判断に〜"
『21世紀の道徳』のベンジャミン・クリッツァーが『「社会正義」はいつも正しい』の読みどころ解説してる。「特権」をめぐる話題が増えてきた今、必読の一冊。
しっくり腑に落ちた感のある良い記事。
マジョリティに属しているってだけで非難の対象にされたり、マイノリティさの度合いによって被害が矮小化されたりするのはやはりおかしいよなあと。
アメリカで「
絶対主義を批判するために相対主義はまずは注入されないといけないと思うが、今度は絶対を立てれなくなる。でも日本では正解主義やクイズ知性が主流で、相対主義を知らないほうが多いのでは。
「ジェンダー研究やその他の社会的不平等に関する研究(著者らは「不満研究」と呼んでいる)がイデオロギー的に偏向しており学問として成立していないことが示されている、と主張した」
≪現在のアメリカのジェンダー研究などの論文が、内容の客観的な正しさよりもイデオロギー的な主張ありきのものになっていることを批判した≫
ポストモダニズムと応用ポストモダニズムのわかりやすい解説。

応用ポストモダニストが主張の是非について判断する際に「適切であるか」ではなく「属性」に注目するのであれば、『「社会正義」はいつも正しい』を読みたいと思った僕の属性について気にするのだろうか。
当事者性とか経験主義的なものも尊重したいのだけど、偏り過ぎると普遍性が失われはしないかという。何となく日本は、こういう欧米的な思想と関係なく、普遍的な思考に弱く当事者主観重視の気風はあるかなと思う。
なんかもにょる記事なんだよな。筆者のいうポストモダニズム(フランス現代思想)解説(悪しき相対主義)もだし、それがアメリカで変貌したという応用ポストモダニズムも記事通りならば…
応用ポストモダニズム、要はネットで「弱者権力」「かわいそうランキング」と揶揄される現象の事ね。ネコとか見れば一目瞭然だけど、弱者性も使いようで時に権力になる。私はリベラリストなので弱者特権にも反対だな
『「社会正義」はいつも正しい』まだ読んでないんだけど、ポストモダンがアメリカへ渡って応用ポストモダンへと換骨奪胎されて変化して行った様子が論じられているそうだよ。🤔
このサイトはしばらくすると会員専用になるから、読めるうちにどうぞ。😉
昨今は「シス女性特権」と言う謎の言い回しがありますがね。
応用ポストモダニズムって結局なんなんだ?
> 自分たちについても他人たちについても、主張の是非について判断する際に「その人の主張の内容は筋が通っていて適切であるか」ということではなく「その人はどんな属性をしているか」ということにばかり注目するようになった。
“フランスのポストモダニズムとアメリカの応用ポストモダニズムには規範性という点で大きな違いがある。前者の理論は相対主義を前提としており道徳や政治に関する主張を敬遠するのに対して、後者は人種差別や性差別に反対する政治的な主張を提唱するために用いられる理論”
これも「「社会正義」はいつも正しい」についての、書評というよりは解説。山形浩生の訳者解説と視点は違うが齟齬するものではない。
ベンジャミン・クリッツァー氏による『「社会正義」はいつも正しい』書評。ポモ→応用ポモ→無理のある逆張り理論が物象化して暴走、という見立ては興味深い。
「「脱構築」と称しながら、論文や著作などにおいて意識的に言葉遊びをしたり無内容な記述を含めたりするところもポストモダニズムの特徴であった。」現代ビジネスの自己批判?w
この構図は日本でも見られるが、決定的な違いは本文でも触れられている通り本場ほど深刻で重層的な差別構造がないこと。
防波堤たるリベラリズムの普及程度はともかく波を呼ぶ風は弱くリベラリズムの理想を押し流す程の絶望は比較すると少ない。だから大丈夫とは言わないが→
記事見ました。興味深い内容。
米国のリベラル界隈は内ゲバが激しい様ですが。昔の左翼の様に自滅しなければ良いですが
文章の中で飛躍があったり、強弁的な主張が入っているように読めるんだけど。。。
神なき思想はどれもこれも空虚なもの。
どこまでも混迷し錯綜するばかり。
この国の思想風土は特に脆弱ゆえ危険。
いつでも犠牲者は女子供。
バフォメットさんが紹介してくれてた、ポストモダニズムに関する記事がわかりやすかった。
てか、応用ポモ、成り立ちからしてもしかしてダメじゃね?となっている。もうちょっと勉強しないとなんともいえないけど。
『「社会正義」はいつも正しい』の主張が専門家の手でわかりやすく解説されてる。"他の属性の人と共有することのできない主観的な経験を重要視する応用ポストモダニズムが普及した世の中では、リベラリズムや公共的理性が成立する余地は残されていないだろう"
「内容の客観的な正しさよりもイデオロギー的な主張ありきのものになっていることを批判したのだ」
ここは大事でしょうね。
『「社会正義」はいつも正しい』
批評家のベンジャミン・クリッツァー氏が解説する。


ベンジャミン・クリッツァー
なるほど、アメリカにおける応用ポストモダニズムへの経緯が書かれているのか。ところで、このアメリカにおける経緯自体、20世紀にフランスのポスト構造主義が来てるよー来てるよーって言ってたことをなぞってないか
“欧米諸国と比べて日本にはリベラリズムの発想が深く根付いているとはいえない点には留意すべきだろう。リベラリズムは健全な民主主義の防波堤であるが、その防波堤が脆弱な社会では、応用ポストモダニズムの悪影響はより一層深刻なものとなるかもしれない”
「…他の属性の人と共有することのできない主観的な経験を重要視する応用ポストモダニズムが普及した世の中では、リベラリズムや公共的理性が成立する余地は残されていないだろう…」
つまり『私はいいけどお前はだめって話をしてるんだよ』は『応用ポストモダニズム』だ。
てことね。
"日本にはリベラリズムの発想が深く根付いているとはいえない点には留意すべき リベラリズムは健全な民主主義の防波堤であるがその防波堤が脆弱な社会では応用ポストモダニズムの悪影響はより一層深刻なものとなる"
興味深かったのでメモ
アメリカのリベラルはより差別を受けた方が発言力があるとのことで「黒人女性>白人女性>男性」になっているとか。日本でも「トランス女性>女性」という主張があって、トランス女性の女性トイレ・風呂への立ち入りでリベラルの中で対立していますね
この記事読んでたら國分くんのプロモが流れてきた^^
「マイノリティの経験だけが尊重されるべきだということは客観的な事実であると考えるようになったのだ。」

日本でもあるあるやな(+_+)。
クリッつぁんの分かりやすい解説。
うーん、「民主主義とは、選挙で多数を取った側が決定権を総取りすることではない」だけでは議論は済まないのよね。自戒。
その危険さはわかるものの、被差別者に対してマジョリティがどう行動するべきかも知りたいな(本書では触れられている?)
「著者らは続けてこのように主張する。主観的な経験を特別視することは「より大きな抑圧を経験しているマイノリティこそが、社会の状況についてより優れた知識を持っている
"著者らが懸念しているのは、民主主義の前提になっておりアメリカやその他の国々で実際に反差別運動を成功させて社会を改善させてきたリベラリズムが、応用ポストモダニズムによって台無しにされることだ。"
”主張の是非について判断する際に「その人の主張の内容は筋が通っていて適切であるか」ということではなく「その人はどんな属性をしているか」ということにばかり注目するようになった。"
ベンジャミン・クリッツァーさんに書いていただきました。アメリカで「リベラリズムからのポストモダン批判」が目立つようになってきているそうですが、それがどのような立場であり、どのような論理をもっているのかを解説してくださっています。
書いてました
早川書房から翻訳が刊行された『「社会正義」はいつも正しい』の書評記事が公開されました。
批評家のベンジャミン・クリッツァーさんによる、ヘレン・プラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』の書評が。
今年、小生が読んだ記事で一番面白い気がする!!
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