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校則と職場の謎ルール 思考停止が招く政治への無関心 内田良さん

バズる指数ピーク 243

 twitterコメント 54件中 1~54件
アルバイトするために という に入学したのに、
に と、ありました。
憲法学の「人権は他人の人権を制限しない限り最大限尊重される」になぞらえ「自由は他人の自由を制限しない限り最大限尊重される」を提唱したいが、自由は例えば勤労(時間=自由を売る)でも制限されるし、難しい… …
まさに今の教育が今の政治離れを作っていると思えます。悔しいですが。正解がわからないものには手を出したがらないし、「空気を読む」ことに慣れすぎている。
奥山晶二郎さん( これって会社組織も同じだと思います。

昔は効果を発揮したけど、今は通じない旧来のやり方に縛られてしまう。

イ...
日本国憲法と同じ。12条「不断の努力によって、これを保持しなければならない」
「自由の尊さ、意味を考えていなければ、それはガチガチのルールがある状態と同じです。「自由」な人も、気づかないうちにルールに巻き込まれていく危険があると思います」
「学校では先生たちが「企業社会ではこうだから、学校で教えるんだ」と言い、厳しい校則指導をしています。企業の理不尽な文化を先取りして、子どもたちに強制しているのが現状です。お互いに文化をつくってしまっている悪循環があると思います」
「ブラック校則は多くの学校にあります。そこでは理不尽に耐えるトレーニングをしているようなもの」「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」→
→ 上から言われた通りに従う企業文化と規則を守る意識は全くの別物だと思う。

「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」
ブルシットなルールをどう考えたらよいのか。とてもいい記事だと思います。
奥山さんのコメントが我がことすぎる!

上の世代の人たちが思考停止から脱する。その姿に接した下の世代は変えることへの抵抗感がなくなるかもしれない。
それが変えることの楽しさの発見につながり、さらには変えないことのリスクや怖さを実感することになる、かもしれない。
《「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」》
《学校では先生たちが「企業社会ではこうだから、学校で教えるんだ」》
《企業の理不尽な文化を先取りして、子どもたちに強制しているのが現状》

理不尽に気づいて抵抗した子にしか未来ない
若新雄純さん( 「もっと変えよう」の雪崩が起きることを、恐れるか、楽しめるか。...
「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」

身近な理不尽は変えられる。
“良識在る奴婢”の存在は
民主主義では無い。
「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」

この「無関心」と解釈される反応は無力感を回避するための神経症的な防衛でありこのような体制を構成することが教育である
奥山晶二郎さん( 朝日新聞デジタル 本当にそう。

これって会社組織も同じだと思います。

昔は効果を発揮したけど、今は通じない旧来のやり方に縛られてしまう。

イ...
ルールを守ることが自己目的化
職場の「謎ルール」は「ブラック校則」の延長線上にある
「ブラック校則は理不尽に耐えるトレーニングをしているようなもの」
-----…
「もっと変えよう」の雪崩が起きることを、恐れるか、楽しめるか。...
母校で制服撤廃されたのは50年前に闘った結果だったが、その経緯は忘れ去られた。日本は70年代からバックラッシュばかり>
"校則感覚を持ったまま大人になり、上から言われた通りに従う企業文化が作られている"
ブラック校則は全体主義そのもので、国民の民主主義理解を阻んできた元凶と言っていいと思う。校則を生徒主導の民主的な手続で決めるべきって話は、少なくとも30年は前からあるよ。
若新雄純さん( 「もっと変えよう」の雪崩が起きることを、恐れるか、楽しめるか。...
"最近、ある生徒は学内アンケートの性別選択肢が「男」「女」「答えたくない」となっていることに違和感を持っていました。三つ目の選択肢を設けることは最近よくありますが「なぜ勝手に『言っちゃいけない』みたいなカテゴリーに押し込められているの」と疑問を覚えました"
ヘンテコなキーワードで思考停止してくれるから、内田良さんにも大量のお客さんが引っかかるんですよね。
そうそう。やっぱり成功体験が大事。
成功体験がなく諦める事に慣れさせた結果、とにかく卒業するまでの辛抱、大人になったら、死ぬまでの辛抱。

生産性も低下するよ。思考停止させられてるんやから。
重要✨
武田砂鉄さんが内田良さんに一般書を書いて欲しいと〝口説いた〟時のエピソードが好きで。

「エビデンスを固めた上で思いを語るようになった」(内田さん)

研究と行動、両方の世界を繋げたのが編集者武田砂鉄だったという話。

しました
この社会の病理の根っこはこのあたりにあるのでは…とつねづね思っている。
「理不尽に耐えるトレーニングをしているような…校則感覚を持ったまま大人になり、上から言われた通りに従う企業文化が作られている…。
一方、学校では先生たちが…企業の理不尽な文化
雇用者側に偏りすぎている判例が問題
”自分で何かを変えようという思い、変えられた成功体験がない。それでは「選挙に行こう」という思考にもつながりません。でも、それでは権力者の思うつぼですよね。”
ほんこれ。
『自分で何かを変えようという思い、変えられた成功体験がない。それでは「
自分で何かを変えようという思い、変えられた成功体験がない。それでは「選挙に行こう」という思考にもつながりません。「何となく賛同していますから、どうぞ好きにやってください。選挙も行きません」
思考停止は本当に怖い
ルールを考える、つくるがもっと広がってほしい
引用
ブラック校則は多くの学校にあります。そこでは理不尽に耐えるトレーニングをしているようなものです。
そうした校則感覚を持ったまま大人になり、上から言われた通りに従う企業文化が作られていると思います。
「子どもにとって校則は法律のようなものです。世の中の土台を変えていく意識を高めることが学校の使命のはずです」
ほんと、それ。
子どもの頃に何度も転校したけど、そのルールが大切なのなら、なんで学校ごとにこんなに違うんだろうっていうのが、謎だった。
“自分で何かを変えようという思い、変えられた成功体験がない。それでは「選挙に行こう」という思考にもつながりません。「何となく賛同していますから、どうぞ好きにやってください。選挙も行きません」と。でも、それでは権力者の思うつぼですよね”
まさに、主権者教育ですよね。小学生の母親になり、この謎ルールにうんざりする日々。学校指定のトレーナーを学校内で着るのはOKだが、登下校中はNGとか。「明日、先生に理由を聞いてきて」と子どもに言うのもためらい、黙って飲み込む。もやっ。
【 と の 思考停止が招く政治への無関心 さん "「何となく賛同していますから、どうぞ好きにやってください。選挙も行きません」と。でも、それでは権力者の思うつぼですよね"
職場の「謎ルール」をたどると、ブラック校則に行き着くように思います。
内田良教授はこう指摘します。

"校則感覚を持ったまま大人になり、企業文化が作られる。
一方、学校では「社会ではこうだから」と厳しい校則指導をする。
お互いに文化をつくる悪循環がある。”
“自分で何かを変えようという思い、変えられた成功体験がない。それでは「選挙に行こう」という思考にもつながりません。「何となく賛同していますから、どうぞ好きにやってください。選挙も行きません」と。でも、それでは権力者の思うつぼですよね。”
名古屋大の内田良教授(教育社会学)は「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」と指摘します(記事から)
〝「ブラック校則は多くの学校にあります。そこでは理不尽に耐えるトレーニングをしているようなものです」〟
“ブラック校則は多くの学校にあります。そこでは理不尽に耐えるトレーニングをしているようなものです。そうした校則感覚を持ったまま大人になり、上から言われた通りに従う企業文化が作られていると思います”
「職場の謎ルール」の背景にあるもの、その経緯や影響について、教育社会学が専門の名古屋大・内田良教授に読み解いてもらいました。ブラック校則との関係が濃いのではか、と指摘します。
【書きました!】
ブラック校則×職場の謎ルールについて、内田良教授に聞きました。

"校則感覚を持ったまま大人になり、企業文化が作られる。
一方、学校では「社会ではこうだから」と厳しい校則指導をする。
お互いに文化をつくっている悪循環がある。”
思考不能言語 日本語 自滅途上国 日本:
「ブラック校則は多くの学校にあります。そこでは理不尽に耐えるトレーニングをしているようなものです。そうした校則感覚を持ったまま大人になり、上から言われた通りに従う企業文化が作られていると思います」 さん
職場の「謎ルール」は、学校の「ブラック校則」の延長線上にある?名古屋大の内田良教授は「身近な理不尽を変えた経験がないことが、政治への無関心にもつながっている」と指摘します。
" 専門家である内田良さんの解説です。
(承前)「文化」ですから、当該文化を充分に理解しない異文化的要素が学校に入り込むと学校内で大小の衝突が起こることがあります。しかし、もし学校が多様性(diversity)の保障を目指すなら、異文化も受け入れてほしいものです。
「学校文化」という教育学的用語があります。担任の先生が支配的学級経営を行うとか、黒髪が児童・生徒にとって望ましいとか、「何か学校に特有なるもの」(堀尾、久富1996)のことを言います。学校文化は学校ごとに違うことがあります。学校文化は当然・自明ではありません。
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