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作家・早乙女勝元さん死去 東京大空襲を経験、戦災誌で菊池寛賞

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足立区出身ということもあってか、ウチの通っていた小学校にも自身の戦争体験を描いた本があったり、映像作品を見たことを思い出す。
ご冥福をお祈りします。
ああ……大家が逝ってしまわれた
子どもの頃から数々の著作を読ませて頂きました
ご冥福を
親父に読まされた、東京大空襲。
大変なことがあったことが分かった。親父は横浜から東京が3日3晩燃えていたことを見たと。。。その親父もその後に横浜大空襲に遭う
幼い頃、父が『東京大空襲』という絵本を買ってきた。文章は早乙女勝元さん。その絵が衝撃的で、燃え盛る火の中を逃げ惑う人々の顔がとても怖かった。それを兄が面白がって見せてくるのが嫌でタンスの上に隠した。数年後、恐る恐るタンスの上から取り出して改めて見たのだ。
幼い頃、父が『東京大空襲』という絵本を買ってきた。文章は早乙女勝元さん。その絵が衝撃的で、燃え盛る火の中を逃げ惑う人々の顔がとても怖かった。それを兄が面白がって見せてくるのが嫌でタンスの上に隠した。上級生になって、恐る恐るタンスの上から取り出して見たのだ。
早乙女勝元さん作の『猫は生きている』。買ったのは中学生の時だったか。とにかく怖かった。東京大空襲を疑似体験したかのような強烈な恐怖心を覚えた。戦後生まれのわたしが「戦争反対」と強く思うのは、この本の影響が少なからずあるように思う。
子どもよ 大きくならないで おまえが大きくなると 戦争にいって きっと死んでしまうだろう 子どもよ どうかこのまま このままでいておくれ・・・・・…

(『ベトナムのダーちゃん』より ベトナムの町で母親たちの口から口へ伝えられている歌)
早乙女さん。毎年夏になると、読者として朝日新聞に投書し掲載されていたことを思い出す。
また一人戦争を知る人が亡くなってしまった。
数年前に東京大空襲・戦災資料センターで見かけた時はお元気だったのだが..。合掌。 ->
東京大空襲の生き証人の方が、またひとり
ちょうどここ数カ月、昨春取材した時の早乙女さんの言葉を何度も思い返していました。
早乙女さんの思いを、危機感を、ちゃんと受け継いでいかなければと、切迫感を抱いています。
またひとり、日本の案黒時代を体験した人が去った。しかし早乙女さん亡き後も、彼らの体験談は語り継がねばならない。
駆け出しのラジオADだった頃、インタビューを録りに伺った。あの頃はまだ50歳ぐらいだったんだなあ。>
小、中学校の図書館で東京大空襲のご著書を読んだことが、戦争の実相を学び続ける大きなきっかけとなりました。

「日本国民は、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」との平和主義と9条を守り抜きます。

御冥福をお祈り申し上げます。
また誠実な作家さんが亡くなってしまった。
残念です💧
御冥福を祈ります🙏
戦争の実体験を語りつぐ人がまた旅立った。合掌。
5/11(水)早乙女勝元さん
朝日新聞
2002年、民間からの募金を元にオープンした民営の「東京大空襲・戦災資料センター」の初代館長に就任し、17年間にわたり館長を務めました。
著書からはいろいろと学ばせていただきました。深く哀悼の意を表します。
🙏🙏🙏🙏🙏…
また偉大な方が亡くなられた😭
ご冥福をお祈りします
出会いは家の書架にあった『ベトナムのダーちゃん』。母と子でみるシリーズは小学生の頃の愛読書。どれだけ影響受けたことか。合掌。
小学生の頃、図書館で読んだ子供でも読める平和図書は大体この方の本でした。
若い頃知人から「これはいい本だから読みなさい」と貸してもらった早乙女勝元さんの「東京大空襲」泣きながら読んだ。(๑´-人-`)ご冥福をお祈りします。
僕もそうですが、早乙女さんの絵本『パパママバイバイ』によって横浜米軍機墜落事件のことを知ったひとは多いと思います。
足立健康友の会名誉会長,元健和会友の会会長.
心よりご冥福をお祈り申し上げます.
ご冥福をお祈り申し上げます。(滝) →
→今の世界をどのように思われていたでしょうか…
ご冥福をお祈りします。
に東京の街が見舞われた悲劇を後世に伝えんと尽力され、17年間にわたって東京大空襲・戦災資料センターの初代館長も務められた。心よりの哀悼を。
作家・ 死去 を経験、戦災誌で菊池寛賞
仕事でお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
作家の早乙女勝元さんがお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
昨年の半藤さんのときと同じショックで頭がいっぱい。
この人の「東京大空襲」を読んだから今の私がいるとも言える。
戦争を体験した世代がどんどんいなくなる。
戦争を知らない世代がきちんと受け継いでいかないといけない。
戦争反対。
早乙女勝元さんは、戦争を体験していない私たちに多くの「本当」を教えてくださった。亡くなられたことが残念でならない。今、軍備増強を叫ぶ人々に対する、勝元さんの言葉を聞きたかった。
おはようございます。ああ、早乙女さん。「猫は生きている」「ベトナムのダーちゃん」……電話の「早乙女です」の優しい声が忘れられません。写真は右から父、早乙女さん、シンガーソングライター横井久美子さん。
たくさん、お世話になりました
会いにゆけずに、ごめんなさい
ありがとうございます
今も手元にある。これからも。心からお悔やみ申し上げます🙏
早乙女勝元さんの著作は、たくさん読みました。また一人、戦後の民主主義を牽引してきた戦争体験者が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
むかしこの人の本を読んだことがあるなあ。90歳ですか。
ああ、早乙女勝元さんが。もう3/10恒例の声欄への投稿も読めなくなってしまうのか。
ご冥福をお祈りいたします
おお…子供の頃図書館でひたすら読んだのは早乙女氏の戦争書籍であった。
ああ、この人の本も読んだな(ヽ´ω`)
早乙女さんのお持ちの蔵書、資料はどうなるんだろ。
松浦総三さんと、会話されてるかも。合掌。
大学時代、特別講義で早乙女さんが講演してくださった。私は手伝いでステージの横で拝聴していたが、終戦の日にご兄弟で「もう空から爆弾は降ってこないのだと喜びあった」という話が心に響いて、舞台袖で隠れて涙を流したのを思い出します。ご冥福をお祈りいたします。
#
合掌…
著書を読んだことがある…
ご冥福をお祈りします。
なんとお亡くなりになったのか...。戦争体験を伝える第一世代としての努力と貢献による成果は計り知れないほど大きな方だった。合掌。
【早乙女勝元さん死去 90歳 老衰のため】東京大空襲を経験、菊池寛賞 #
数年前、足立区で、ある新年会でご一緒したことがある。子供のころから東京大空襲の悲惨さを早乙女さんの本から教えていただいた。東京大空襲にこだわり続け運動を広げられた。合掌。
たくさんのご著書を通じていろんな学びをいただいた。ありがとうございました。江東区にある東京大空襲・戦災資料センターも行こう。
ご冥福をお祈り申し上げます
残念です。ウクライナ戦争にはさぞ失望し、かつどれほど怒っておられたことでしょう。黙祷します。
合掌。90歳だったという。少年期に遭った空襲について繰り返し伝えてくれた方。
戦争の被害を伝えてきた人がまた一人、去る。平和への思いを受け継いでつなぎたい。
地域の平和運動と組織発展に長年お力添えをいただきました。
ご冥福をお祈りします。

私たちの世代が、東京大空襲、戦災の悲惨さを同世代、次世代に語り継ぐ立場になっているのだと痛感しました。
早乙女勝元さんにはラジオ「みんなの寅さん」の御縁で、柴又帝釈天での平和を考えるトークをご一緒したり、本当にお世話になりました。ありがとうございます。ご冥福をお祈りします。

#
先生が出した様々な著書のお陰によって、東京大空襲について色々と知る事ができ、心から深く感謝します。

どうぞ安らかにお眠りください。
『パパママバイバイ』の著者。
私は広島の爆心地近くで産まれたので、お袋が早乙女さんの著者を読み聞かせしてた。小学生の時、遥々広島の郊外迄、講演にいらして下さった。
また、戦争の語りべをおひとり失った
ご冥福をお祈りします
作家・ さん死去 を経験、戦災誌で菊池寛賞:朝デジ

幼い頃に読んだ「
あぁ、また…と。
体験者がいなくなっても、わたし達は大丈夫、ちゃんと引き継いでいると、言い切りたいけど…
リアルで戦争を語れる人がどんどんいなくなっていく・・・
作家の早乙女勝元さんが10日、老衰のため死去,、90歳。
1945年3月の東京大空襲を12歳で経験、働きながら文学を志し、戦争の悲惨さを訴え続けました。
戦災資料センター行ったことある。
『2002年、民間からの募金を元にオープンした民営の「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の初代館長に就任。』亡くなったのか・・・。
戦争を知る人間は次々と鬼籍に入り,戦争を知らないバカどもは「戦争をしない国」を「仕掛ける国」へ着々と作り替えている。それに「捨権者」が喝采を送る。亡国。
…1)作家の早乙女勝元さんが90歳で死去。1945年3月、12歳で東京大空襲を経験。1956年に小説「ハモニカ工場」で作家に。1970年「東京空襲を記録する会」を結成し、戦争の悲惨さを訴え続けた/
合掌。
小学生の時に「猫は生きている」「パパママバイバイ」は読みましたね…。
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