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デモに向けられる冷ややかな目 路上で声を上げる人はヒステリックか

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>「声を上げることは効率とは無縁で、やれば社会が変わると約束されてもいない。それでも本気でやる姿が、成果主義の視点からは自己満足に見えるのかもしれない」。そんな世の中の視線が、あの場面に反映されていたように思える。
(沈黙のわけ:2)デモへ、成果主義からの冷笑

デモに向けられる冷ややかな目
>放送直後、太田は脚本が変更されたことをブログで説明し、こうつづった。
《声を上げていく人々に冷笑や揶揄(やゆ)の目が向けられないようにと願います》
地方都市でもたまにデモを見かけるが、どれも侘びしいんだよな。
韓国みたいにエネルギッシュなデモなら自分も参加したいが、今の日本のデモは、例え意見に賛成でも参加したくない。
難しいですね。それ自体は権利ではあると思いますが、何かの駒になるのは嫌がられると思います。清廉潔白というかそういうのは最低でも必要かと。
デモは対象に対する「イヤガラセ騒ぎ」である、「イヤガラセ上等」でそれによってパンピーに気づかせる行動である、って大前提をすっとばした議論は危ういなあと思う。
左翼のデモは
少数意見を多数意見に見せかける為大声で威嚇
デモこそ民主主義と威嚇行為を正当化
労組が動員
NHK報道は詰めが甘かったが金で動員

こんなデモやってる奴なんてバカか人間の屑
普通の日本人が冷ややかな目で見るのは当然だろ
民主主義ってデモでなく選挙なんだよ
子供の頃、学生運動デモをテレビで見て怖くて今で言うテロリストだと思って見いていた
そのトラウマで反射的にデモはヒステリーより恐怖の対象だよ
それを煽ってた朝日新聞がよく言うな
あのね、冷ややかな目をされてようが、やろうと思ったらやるんだよ。「ロシアはウクライナ侵攻をやめろ」というLEDリュックは、別にSNS映えするために掲げた訳じゃない。
逆に言えばある程度の人数集めて報道された時点で、デモとしては成功なんですよね。お気に召さぬ面々がイライラしながら「デモなんて役立たずだ!無駄なんだ!」とネットに書き込んだところで別にどうってことない。
東京五輪のスポンサーに名前を連ねて、開催中は競技報道オンリーだった日本のメディアが閉会後にこんなことをアリバイ作り的に言うの、本当に嫌になりますね。
"ドラマ「相棒」の元の脚本では、女性たちに共感した正社員2人が、非正規社員の苦境を刑事に訴えるシーンだった。それが知らないうちに、ヒステリックな印象を与える場面に描き直され→
無意味な場所でアピール全面だからでしょ。
もっと訴えかけようとする場所や人に合わせた内容や訴えかたを工夫しないと自己満足と雑音でしかないでしょ。
いじけることだけが
生きることだと
飼い慣らしすぎたので
身構えながら話すなんて
ああ臆病なんだよね

飼い慣らされてきたけど
そろそろ声を上げてもよい時だ!
ブクマとか見てると党派性の違いの問題で話をつけようとしているのだが、つまり労働問題関係のデモとかに冷笑しているのは労働者の待遇改善に反対しているってこと?自分が関係ない労働者の待遇など改善されなくていいって意見?非正規vs正規とかだとそうかもな
デモでの意思表示は、世界中どこでも行われている事です。すぐには変えられなくても、権力者の暴走を止める事はできます。
茹でカエルの話を思い出す
無料部分しか読んでないけど、メーデーだからこのテーマを取り上げたのかな。/「手法じゃなく内容に批判的なんだ」っていう人いるけど、同性婚を認めろとか戦争反対とか新卒一括採用反対とか、デモも色々あるよ。
朝日新聞阪神支局で起きた記者殺傷事件を機に始まった「みる・きく・はなすはいま」。2回目はデモについてです。
《デモだけで社会は変えられないと思う。だけど、目にした人に気づきを与える力はある。「路上で声を上げること」への可能性を、まだ信じている》
デモにしろストにしろ、市民が声を上げることは見苦しいとか迷惑だとかいう風潮がだんだん強くなっているように思う。「示威行動」という訳もよくないのでは。冷笑主義は現状の追認にしかならないのだが。
僕は30年以上前から日本のデモってダセエって思ってました。ガキの頃父にデモって東大や国会囲んだり、火炎瓶投げるものなのに何で警官に守られながら行進してるのか聞いたことがある。
端的にこの国のTVドラマの制作方針はデモとその価値を恣意的に矮小化していることを表しているのだと思います。新聞の取材に対して「この類の質問に回答した前例が無い」という回答に
無理を通せば道理が引っ込むと思うようなケースが散見されるから理解を得難い。あと、周囲の迷惑を考えないのは違うからな。
左翼のデモは
少数意見を多数意見に見せかける為に大声で威嚇
本来民主主義とは国民の投票なのにデモこそ民主主義と威嚇行為を正当化
労組が動員
NHK報道は詰めが甘かったが金で動員

こんなデモやってる奴なんてバカか人間の屑
普通の日本人が冷ややかな目で見るのは当然だろ
ちょうど書こうと思っていたけど『デモは迷惑と感じる(騒音など)』と『他の人に(じろじろ?)見られるのは迷惑と感じる』は似た部分あると思う。『そう感じるかもしれんが、そこは規制したらさらにまずい』点で。
そういう疑問を投げる側だって、フジデモにはヒステリー扱いして冷ややかな目を浴びせてたでしょ?
デモに冷ややかな目があってもいいだろ。風向きが変わったら目も変わる。「俺たちを支持しないお前ら愚民」ケシカランという目線で問題視するのはかえって反発を生む。
当たり前やろ。
お前ら、メディアも含めて、やってんのただのお遊びやん。
デモとか、本気で生命かけるから伝わる可能性が上がるだけで、、そんな遊びでやってるアホ共が騒いだ所で、ただの邪魔でしか無いからな。
単純なはなし、不機嫌な人のそばには近づきたくない。
というより共産党(など)の動員にしかみえん
反日工作機関のアジテーション
つぶれろよ!
…#
声を上げるというか、主張や言動が眉を顰めるもんだからやろ
マスメディア時代のデモとSNS時代のデモはやり方が違うんだよ。
力あるものに直接物言える時代、今は『対象を糾弾型デモ』じゃなくて『世間へ提案型デモ』の時代なんだよ。
路上で大声を上げるデモという戦術が低効率なものになっているのは否定しがたいのではないか。
ヒステリック

#
道路封鎖して、基地反対のデモしてる運動家に
からまれてる動画見てみ。

放送できないレベルだから。
デモって言っても色々あるだろ。内容次第で応援するか決めるわ。残念ながら一般人が余りデモをしないから結果的に変な集団のデモが目立つんだよな。全原発即時廃止とか
35年前の憲法記念日に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に始まった、言論や表現の自由を問う企画『「みる・きく・はなす」はいま』に今年、携わりました。

私が主に担当した回です。
元日に放送された「相棒」でのデモの描かれ方について、脚本を書いた太田愛さんがブログで経緯を説明し、話題になりました。NHKの字幕問題もほぼ同じ時期でした。いずれの問題も「デモへの忌避感」が根底にあるのでは。その正体は何なのか。そんな疑問が取材の出発点でした。
正直、自分をなんとかするだけで精一杯で、声を上げる勇気と気力がなく、またコミュニケーションが辛いので、側から見れば自分も冷笑しているように見えるのかもしれないとは思う。
≪この回で起きる殺人事件の背景には労働問題が横たわる設定だ。
女性たちは抗議の相手ではない刑事にお構いなしでまくし立てる。反町隆史扮する同僚が耳をふさぎ、警備員が止めに入った――。
脚本を担当した太田愛(57)は放送の5日前、完成した映像を見て驚いた≫
ドラマ「相棒」で水谷豊演じる刑事がデモに出くわす。「格差をなくせ」と刑事にまくし立てる。反町隆史扮する同僚が耳をふさぎ、警備員が止めに入った。脚本を担当した太田愛は完成した映像を見て驚いた。
だって「アベ政治を許さない」とか、モリカケ桜みたいなので国会を停滞させる野党の追っかけみたいな主張してる集団が、とりあえず練り歩いてる祭りでしかないもんなぁ。
個人的に、日本のデモ隊に対しての視線の温度が低いのは、デモを手段ではなく、目的と捉えている向きが強いからだと考えている。
なんで冷ややな目を向けられるか、一度でも考えたことありますか?
デモ自体は国民の権利だし好きにやればいいが言ってることがめちゃくちゃだったり法令を守れない例も多いから白い目で見られるんだよ。
デモは多数派・支配的なものに異を唱える行動なので批判的な視線が寄せられるのは当たり前.「象徴天皇制維持!」というデモはありえない.

デモをやっても罵詈雑言が飛んでこなかったら,その時こそ「意味はないのか?」と悩むべき.

デモに向けられる冷ややかな目:朝日
有料記事で冒頭しか読めないが…別にデモそのものが冷笑されてるワケじゃないだろ?その内容やケツ持ちが容易にお察しという部分で冷笑されてるだけだ(藁
Q 路上で声を上げる人はヒステリックか
A Yes
脚本家に無断で書きシナリオ書き換え。物書きからしたら言語道断! これは文書改竄。誰かの指示だと考えなければ辻褄が合わない話だ。
デモのシーンの脚本まで書き換えられたとは。テレビ朝日にはがっかり。
「元の脚本では、女性たちに共感した正社員2人が、非正規社員の苦境を刑事に訴えるシーンだった。それが知らないうちに、ヒステリックな印象を与える場面に描き直されていた。」
連載「沈黙のわけ」2回目
「デモ」は「おかしいことはおかしい」いう抗議の声を人々の目に触れるよう、体を張った言動で見せ示す行為。参加者の多少は問題ではない。その勇気ある言動には社会を変える力がある、と私も信じています→
ドラマ「相棒」の脚本を書いた太田愛さん「声を上げることは効率とは無縁で、やれば社会が変わると約束されてもいない。それでも本気でやる姿が、成果主義の視点からは自己満足に見えるのかもしれない」
【おすすめ連載】

言論・表現の自由について考える「『みる・きく・はなす』はいま」第47部の2話目は、デモに対する社会のまなざしがテーマです

人気ドラマ 正月スペシャルの脚本を担った さんがブログにつづった「謝罪」の真意とは……
「話し合いを重ねた。知識のある人しか参加できなくなれば、素直に怒りを訴えたい人は足が遠のく。中村はそう主張したが、隔たりは埋まらなかった」日本には抗議の文化が決定的に不足している だからそれに気付いた人が率先してやっていくしかないのである
「それでも街頭で訴えたい中村に、多くのメンバーが「社会から評価される活動の方がいい」「デモで社会は変えられない」と意見した。勉強会や政策提言を活動の柱にすることを望んだ」
連載「沈黙のわけ」、第2回はデモに向けられる目線です。ドラマ「相棒」でのデモの描写と脚本変更は物議を醸しました。声を上げることをどう捉えるか。私たちの社会意識が問われます。
目立ったりメディアが取り上げるデモは見てて引くし、警備の警官に暴言を吐いたり、暴力を振るったりする人もいる。そういった人たちと同一視されたくないと思うのはごく当然。
そもそも、党派性丸出しだったり、お揃いのプラカでプラカ芸してるの見たらいい感情出てこない。
←新聞がこういうスタンスで記事を書くことによって、どんどん社会は萎縮してゆく。
例えば、東京五輪に反対してた人たちは、北京五輪にも反対してたのだろうか?(´・ω・`)
ドラマ「相棒」で、水谷豊さん演じる刑事が捜査中、デモに出くわす場面。

担当脚本家が知らないうちに、ヒステリックな印象を与える場面に描き直されていたといいます。

デモへのまなざしを考えます。
「知識のある人しか参加できなくなれば、素直に怒りを訴えたい人は足が遠のく。」ここが大事。
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