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石原慎太郎はなぜ「問題発言」を繰り返したのか? 東京都知事時代に見る“メディアの罪”

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 twitterコメント 54件中 1~54件
いやほんとにそうなんだよなと思う内容。。。
がくたばってからずっと、 はマンセーを続けているが、奴がやらかした数々の を忘れては断じてならないのだ!
身内にはとことん甘く、それ以外には異常なまでに攻撃的なのは典型的な「自称"愛国者"しぐさ」だよね
はなぜ「問題発言」を繰り返したのか? 東京都知事時代に見る“メディアの罪”
"かつて石原氏が都知事だった頃、そのタレント性や声の大きさ、わかりやすさをメディアはありがたがり、楽しんでいた節があると思う。差別や蔑視発言があったのに(決して失言ではない)、それも「石原節」「本音」などと杜撰にまとめてもてはやしていなかったか。…"
この人、難しい言葉を使いたかっただけじゃないかなあ

業病もそうだけど
古くは、支那、三国人などなど

幼稚なんだよ
誰しも突然マイノリティーになる可能性という「立場互換性」への想像力が石原氏には欠けていたように思える。利益を共にする身内には優しいが、他者にはひどい言葉を平気で投げかける
あーこれは、問題発言してる他のやつも全部同じで、ホント的を射てる表現だな。→政治家とじゃれあう報道の在り方に疑問
まともな侍やったけどな!
プチ鹿島「石原慎太郎はなぜ『問題発言』を繰り返したのか? 東京都知事時代に見る“メディアの罪”」(文春) 「政治家とじゃれあう報道」「かつて石原氏が都知事だった頃、そのタレント性や声の大きさ、わかりやすさをメディアはありがたがり、楽しんでいた節があると思う。
石原慎太郎はなぜ「問題発言」を繰り返したのか
東京都知事時代に見るメディアの罪
「差別や蔑視発言があったのに(決して失言ではない)石原節・本音などと杜撰にもてはやし
『生殖能力』で人の価値を量る点で共通し、優生思想が根底。排除の想像力が欠け」
"かつて石原氏が都知事だった頃、そのタレント性や声の大きさ、わかりやすさをメディアはありがたがり、楽しんでいた節があると思う。差別や蔑視発言があったのに(決して失言ではない)、それも「石原節」「本音」などと杜撰にまとめてもてはやしていなかったか。視聴者…"
完全に同意。

石原慎太郎には自分と遠い人への想像力が欠如していた。

メディアは「石原さんの人間的な面」に接する取り巻き的立場を享受し、距離の近さを競っていたと思う。
プチ鹿島さんの論考:
問題発言だと思ってるのはマスコミだけじゃないの?いつも正論を言ってたと思う😤
"人気はあったが自民党の総裁にはなれなかった石原氏は、東京都知事という座を選んだ。石原都知事が何か政策を出せば出すほど、その視線は東京都民ではなく自民党や永田町に向けて「見て、見て、俺を見てー」と言っているように、私の目には映った。"
>政治家とじゃれあう報道の在り方に疑問

🤔この一点に集約される。
松本智津夫をも面白おかしく取り上げたこの社会のメディア。政治にトリックスターを求める悪癖を改めない限りいつまでも間違い続ける。
麻生や橋下、松井、吉村などに連なる「ぶっちゃけ系(?)」政治家の元祖…
実際には、過去にも似たような政治家はいたハズだが、公の場で発言した途端に失脚させられたハズ…
「ぶっちゃけ」=「親しみ易さ」では済まされない…
政治家とじゃれあう報道の在り方に疑問
「ああ見えて実はいい人」の落とし穴
問題発言はなぜ繰り返される?
政治家に求められる「想像力」とは
メディアが夢中になった「力強さ」
たとえ身近な人にとって都合の良い人気者だったとしても。
だって作家だもん…^^;)
作家が現実に対して異物を突き立てるのはまったく良い心がけなんだが、それが弱者に対して向いているところがくずたるところだ。
亡くなった後に批判してる人いたのが印象的だったな。
そんなに嫌な思いを持っていたなら生前に面と向かって言うべき
なるほどと、うなずける記事。石原慎太郎イズムは
まだ生きている🙄
「ああ見えている」という事を忘れちゃいけませんよねと つくづく。
プチ鹿島さんの文春コラムを読んで。

「ああ見えて実はいい人」の落とし穴
プチ鹿島さんの記事、メディアの人たちはどう受け止めるだろう。
「石原都知事時代の職員~怒鳴られ~気持ちよかった~憎悪を煽る排外的発言、社会的弱者への偏見などもなあなあに」 と の違い定期。 / “石原慎太郎はなぜ「問題発言」を繰り返したの…”
早い話あれでも若い頃は昭和(ここ大事)のスター兄弟の兄貴やもん、ちっとでも愛想して貰ろたら昔の人間は誰でも目がハートなってもてイチコロやねん。
それは石原と自分の間だけで成立する話。彼の弱者に対する発言と相殺するのは卑怯。

怖いし、威圧感も存在感もあった。でも、時折見せる人情味が魅力的な人だった。
プチ鹿島さん
社会に多大な影響を及ぼしているという意味において、今も石原慎太郎は生きている、と
▽「ああ見えていい人」の落とし穴
▽政治家に求められる想像力とは
>“半径5メートル以内を虜にする、人たらし的な部分は必要だ。” 同じ国内に住むその半径外の住人としてはたまりませんな。むしろダメな政治家の典型という気がする。
想像力の無い人間が
男泣きに泣くかよ
PKは面白いことだけやってればいいのに
発言を読み返すとゾッとする。このような人物が持て囃される日本に。

問題は、大手メディアは皆同じような姿勢である事。色んな見方があるはずなのに、不気味な統一感がある。今の日本の惨状も「与党を批判できない報道」が原因。
石原都知事時代の職員の言葉。
「表で怒鳴られると、むしろ気持ちよかった。不思議なんですけど、あの石原さんに怒られたって、何かうれしかった」

アントニオ猪木氏の“闘魂注入”のビンタを受け、悦びに打ち震える姿と重なる。
プチ鹿島さんが常々おっしゃっている「半径5メートル以内を虜にする」話がここにも。
プチ鹿島「かつて石原氏が都知事だった頃、そのタレント性や声の大きさ、わかりやすさをメディアはありがたがり、楽しんでいた節があると思う。差別や蔑視発言があったのに(決して失言ではない)、それも「石原節」「本音」などと杜撰にまとめてもてはやしていなかったか。」
「本当に厳しい人だった。怖いし、威圧感も存在感もあった。でも、時折見せる人情味が魅力的な人だった」

完全にDV野郎の特徴
徹底的に非道なことをやり、ちょっと優しくするって
いい分析だと思う。
「見て見て!俺を見て!」と永田町に対して向けられた都の政策の数々・・・。プチ鹿島さんの鋭い指摘。

結局傍若無人な人柄も、コンプレックスの裏返しだったのかも知れない。最後の2週間は自分の死に怯えていたと良純も言っていたし。
メディアこそ内輪ウケの問題に敏感であってほしいのだが、日本の政治報道は政治家の「内輪」に入ることを競っていて自浄作用が働いていない。結果、メディアがホモソーシャル的価値観を無自覚に広めてしまっている。
必読。
政治家・石原慎太郎とは「究極の内輪ウケ」ではなかったか。

そう考えた理由を書きました。影響は今も続いていると思います。
つまり、外を差別し身内に優しい村社会的世界に生きる人だったと。
誰しも突然マイノリティーになる可能性という「立場互換性」への想像力が石原氏には欠けていたように思える。
そして「橋下節」に受け継がれる。
業病を何秒という意味で使ってるのがわからん時点でこの記者はアホ
>石原氏には都庁職員や番記者など内輪ではいい人エピソードが多いが、それは我々一般有権者には関係ないことだ。そんなことよりも政治家に求められるのは社会的弱者もちゃんと見つめてくれる目だろう。
読了。私は石原慎太郎氏のライフサイクルと敗戦後のこの国の復興、そして今まさに衰退していく姿が重なるんですよね。
石原慎太郎氏は、歯に絹着せぬ物言いをしただけ。
重箱の隅をつつく様な報道体制に問題があった。
!!!→誰しも突然マイノリティーになる可能性という「立場互換性」への想像力が石原氏には欠けていたように思える。
利益を共にする身内には優しいが、他者にはひどい言葉を平気で投げかける。究極の内輪ウケと言えないか。

橋下徹さんと維新がそんな感じ。
なんかさあ、政治家って犯罪者ですらまた立候補して当選して平然としてるのに、ただの発言は死んでも許されないの?
さん、鋭さに加え、筆に奥行きが出てきたのではないでしょうか。完全に”まっとうな報道人”だと思います。➡
見出しとは違ってしっかりした記事
氏は鋭いね⚔️。
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