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「教育格差」が社会を分断する…いまこそ「ごちゃまぜ」な公立校が求められるワケ(飯田 一史)

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現場の教員が努力不足と責めるつもりはないけど、学校がインシデントに対してきちんと対応しないから保護者生徒ともにまともな学校に行けるなら行くことを目指すのは仕方ないことだと思う。
「力のある学校」で有名な志水先生へのインタビュー。力のあるは、よい文献だったよ。
新しい本がでてるのは知らなかった。
これ当事者にならないと分からないだろうけど逆に分断を加速するよ。京阪神の一部で中受が加熱した背景知らないのか。
その地域の当事者だが中学の同級生7割はそこに進むから偏差値45〜が一緒の学校。カースト下位は病み、成績上位だった子もFラン大に行くことになるよ。
こういう言説に腹が立つのは、公立中学でヤンキーと無理矢理仲直りさせられたような、共同体主義の押し売りであるから。
“教育格差”が社会を分断。今こそ“ごちゃまぜ”な公立校を
「大阪府の橋下行革で、上位の子たちだけは伸びる環境を手に入れたが、学校全体で見ると半分の子供の学力やモチベーションを大きく下げた。世の中の半分が前向きになれず、能力を向上させられない社会
まだうまく言葉にできないけどここ数日頭の中にあったモヤモヤにかすっている記事。教育格差と社会の分断、それでいいのか、そして教育の無償化にしたところで…? みたいな。モヤモヤ𓈒𓂂𓏸
『二極化する学校 公立校の「格差」に向き合う』の志水宏吉氏に訊く⇒
「「教育格差」が社会を分断する… いまこそ「ごちゃまぜ」な公立校が求められるワケ 教育における公正の追求はなぜ重要か」飯田一史、現代ビジネス、
首肯するところが多かった
こういう理念を左派が短絡的且つ強引且つ教条的に生徒・保護者に「地元集中」とか言うて押し付けた怨念が、維新の養分になってると思うのよね。
現実の大阪での民意が維新一人勝ちに終わったのは、ヤンキーも優等生も仲良く地元公立にというような同和教育的悪平等への嫌悪感もあるだろう。
教育が公正を置き去りにすれば、社会もそうなる。公正重視の教育で変える。

2021年11月1日

~ ひとりひとりを大事にする、特にしんどい立場・状況にある個人を放っておかずにみながお互いに目を配り、全員に安心できる居場所を実現しよう ~
「学びの共同性・集団性」と「学びの個別化」はバランスを取りながら進めた方がいい。

維新がやったこと、つまり弱者の切り捨てが教育にも行われてるってたことか。大阪の人たち、コロナだけでなく教育まで大変やな。が、大阪の人がそれを選挙で選んだんか…
公立校が頑張ることが鍵だと思う。
【教育における「公正」は、教師・教育関係者・教育行政といった教育を提供する側が主に考えるものです。(中略)個人の自由、子どもの選択は大事に決まっていますから。ただ、みんなが自分のことだけ考えると、全体で見たときに失うものが大きい】

最後の一文🤔
「教育格差」が社会を分断する
…「ごちゃまぜ」な公立校はいらねえ
そんなもん「ぐちゃぐちゃ」な公立校だ
偏差値順でくっきり分かれるようになると、真ん中より下の学校がしんどくなりました。
「教育格差」が社会を分断する…
「ごちゃまぜ」な公立校は先生の都合(現代
教師に実力がないし親がすぐ文句言うから、格差は広がるばかりだよ。いじめも見て見ぬ振りだし、教育委員会はくそだし/
これをよく読んでほしい。
難しい問題だなと思いますが、上位の生徒がより伸び伸び勉強やスポーツに専念できる環境が増えた方が、優秀な人材は増えるような気はします。これって他人に悪影響を及ぼす生徒の配置方法だとも言える気がするのですよね。確かに真ん中より下は更に劣悪な環境に。。
概ね賛成だけど小中学校が してた身としては、高校ま皆が地元の学校通うようになったら18まで学級崩壊に苦しむから50%ぐらい反対だよ
教育社会学者・志水宏吉(大阪大学大学院人間科学研究科教授)に、子どもの「卓越性」重視に傾く今日の教育の問題点について訊いた。教育における公正の追求はなぜ重要か(飯田一史)
私の見聞する実情にも合っているし、分析にも納得。兄弟が多い人、大家族で育った人の嫌でも多様な家族の人達の底力などにも共通する話。日々の中で自然に身につく事がいかに大切かという事。
大阪の公教育で起こってる事態が政治家によるものだと気付かされる。

>政治は維新が握っているためにその流れが潰されようとしているのが由々しき事態
社会分断というけど出来る人たちからすれば、ごちゃまぜ教育は人を使うことを覚える実地以外の意味はなくて、世界と競争するには不要だよね。
この人、途中から珍妙な主張をし始める。猿みたいな連中と高校まで一緒なのは絶対イヤだよ。アホみたいな記事だった
偏差値順で分かれるようになると、真ん中より下の学校がしんどくなりました。イニシアチブを取るリーダーになる子がおらず、勉強に対してもモチベーションが持てない。
〈公正の追求とは全体の底上げ…手がかかる子もきちんとケアする体制を実現させようとすればお金がかかり…ところが「私立に対抗…公立同士も競争…自由選択だ」と…これは各学校の努力任せ…公教育にお金をかけない…政治家のレトリックに騙されないような選択を〉
橋下徹、これ分かってやってたんだよ。大阪の子供達の人生を計画的に売って…悪魔だよ(しかも自分はちゃっかり子沢山)

このアカウントでは何度も言ってるけど、教育を権力の道具として売り渡す政治家ほど最低な存在はいない。自民、維新、ダメ絶対🙅‍♂️
〈前者の意味での多様性が尊重されない状態で、後者の意味での多様性を推し進めると、学校空間は個別指導塾のような場所になる…画面に向かってだけ学習を進めることは、おそらく一部の天才以外には有効ではありません〉
〈「多様化」という言葉は、多義的に用いられるので注意が必要…同質的ではない子たちがいるなかで、お互いどう振る舞えばいいかを学ぶこと…一方…「不登校の子は…別の学びの場を提供すべきだ」といった考え…「ひとつの場にいろんな人がいる方がいい」という考えとは対極〉
ヤンキーと9年間も一緒になるなんて御免だね。
教育に民間の競争理念を持ち込めば良いとは言えない典型的な例
京都大学の合格者1位は大阪の公立・北野高校。一方で大阪ではしんどい子たちへのサポートも手厚い。大阪ではどうして卓越性と公正の追求が共存できているのか(J)
こんな人が阪大にいるの?
少人数かつ予算をつけた上でこそインクルーシブ教育が成り立つと思います
現状はただの予算削減の為の戯言にしか聞こえません
多様性とは、社会とは。教師として、考え続けていきたい。
大阪の公立底辺校が終わってるのは90年代から。引導を渡そうとしてるのが維新てだけだよ。
"私は今は大阪大学に所属していますが、その前は東京大学教育学部に7年勤めました。振り返って思うと、卓越性を追求して育ってきた東大生の中には、自分とは異なる背景を持つ弱者への共感、逸脱した人間に対する姿勢がクールな人も多かった。"
教育格差も家庭環境でも…地域格差でもない❣️何でも言葉の枠にはめて‼️社会から目を背けるな❣️どんな学校にも学校のルールに基づいてる。それが日本の教育
久しぶりに内容の濃い、とても参考になる深い文章でした。
考えさせられます。
めちゃくちゃ大事なことが書いてある。

"画面に向かってだけ学習を進めることは、おそらく一部の天才以外には有効ではありません。 みんなが自分のことだけ考えると、全体で見たときに失うものが大きい。"

いまこそ「ごちゃまぜ」な公立校が求められるワケ
はい、ダウト。多少の差はあっても、住む地域で最初から分断される。麹町中学校の教育が高く評価されるのも、そもそもそこに住んでいるのが富裕層だからよ。
「高校の学区制については全国の半分以上が全県一区になり、どこに住んでいても県内のどの高校も選べるように変わりました/教育熱心な層――全体のうち1割もいかない人たち――が県内各地から集った結果、従来であれば力のあった2番手3番手校の進学実績が落ちました」
「親ガチャ」なんていう言葉が出てきてしまうのも、日本教育の不公平環境が生み出した産物でしょう。そのうち、「教師ガチャ」なんて言われちゃうでしょうね。
選択肢の多い都市部は「ゴチャ混ぜ公立校」でも結構ですが、人口や私学の少ない地方では地域の公立中学から「同質公立高校」が本人の能力を引き出せると思います。
『「公正」ひとりひとりを大事にする、特にしんどい立場・状況にある個人を放っておかずにみながお互いに目を配り、全員に安心できる居場所を実現しようということ』
「教育における公正を置き去りにすると社会はどうなるか」
しかし橋下徹さんが知事のときに「全県一区」「高校無償化」を大々的に謳い、従来は公立と私立のあいだに存在していた「生徒の○割は公立、私立は○割」という共存共栄のための紳士協定を撤廃し、完全に生徒が選びたいようにする制度に変えてしまった。すると・・・
これ学校群制度の復活に繋がりかねない考え方やろ。
久々に見る有益な記事✨
【 】 が社会を する…いまこそ「ごちゃまぜ」な が求められるワケ
個人の幸福追求権(ヤンキーと絶縁したい、いい大学に入りたい)と社会の持続可能性がぶつかるという点では、お見合いや世間体が崩壊して生涯未婚率増加・少子化を招いたというのと地続きの問題。
いわゆる親ガチャを取り上げた記事。ペアレントクラシーという用語にも注目。メモ。
ヤンキーと「分断」して何が悪い。ヤンキーと同じ学校に行かされて「.集団性・共同性」を求められるのは悪夢。
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